年間8億円荒稼ぎの「ボッタクリ帝王」が明かしたワル手口(3)話術の勉強で寄席に通った (1/2ページ)

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年間8億円荒稼ぎの「ボッタクリ帝王」が明かしたワル手口(3)話術の勉強で寄席に通った

 影野氏は1959年、大阪の豊かな商家の3代目として生まれる。何不自由のない生活。順風満帆だった幼少期をそう振り返る影野氏を突然、不幸が襲う。

 高校2年の時、父が白血病で急逝。その心労がたたった祖父、祖母も立て続けに亡くした。身近な人間の裏切りなどの気苦労も重なり、母も体を壊す。家運傾く没落家系の典型だった。

 大学受験に失敗して予備校に通い始めた影野氏はアルバイトを始める。

 選んだバイトというのが、ピンクサロンの「ハワイ・チェーン」だった。

 77年、影野氏18歳のことだが、なんと、当時の大卒初任給の倍近くの高給だったうえ、チップなどの副収入もバカにならなかった。

 風俗は金になると、影野氏は脳裏に植え付ける。翌78年、東京の大学に合格。上京には母の強い反対があったが、生活費を自分で稼ぐことを条件に説得する。当時、大阪で好景気に沸いていたサービス業や風俗業界の状況は東京でも同じだった。影野青年には、歌舞伎町が男の夢とロマンと野望にあふれる街に映った。

 さっそく、歌舞伎町で偶然に声をかけられたピンサロでバイトを始める。

 入店初日のこと。古参のホステスから悲鳴が上がった。客が15分2万7000円の会計が高いと彼女を突き飛ばしたのだ。

 客が騒ぐと同時に、パンチパーマに口ヒゲ、派手な花柄のネクタイにストライプのスーツを着たマネージャーがドアを開けて乱暴に入ってくるや、伝票をテーブルに叩きつけ、ドスの利いた声で威嚇した。いかつい風貌に加え、がっちりとした体なのだ。

「で、どうするの? 払うの? 払わないの?」

 おびえた客は震えながら財布から3万円を出す。

「あんた、あんなに暴れたんだから、おつりはチップでいいね?」

 真っ青な顔になった客は、しぶしぶうなずくと慌てて店外に出て行った。“ボッタクリ店”だったのだ。

 ここから影野氏のボッタクリ人生がスタートする。

 とはいえ、当時は52キロの痩身で優男だった影野氏にゴタは処理できなかった。

「お前じゃ話にならん。責任者を呼んで来い」

 客から相手にされなかったのだ。どうしよう。影野氏は考えた。

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