天才テリー伊藤対談「原田真二」(3)バラエティ志向の仕事に悩みました (1/2ページ)
テリー デビュー当時の曲は、松本隆さんの作詞だったじゃないですか。あれは実際のところ、どう思っていたんですか?
原田 やっぱり抵抗はありましたね。例えば「てぃーんず ぶるーす」は、もともと「君の世代へ」というタイトルで、僕が書いた若者の苦悩やメッセージを盛り込んだ歌詞があったんです。アレンジに関しても、当時ユーミン(松任谷由実)さんや、ティン・パン・アレーの皆さんのような一流ミュージシャンの方に入っていただいてるんですが、それでも納得できなくて。だから歌っても、ちょっと自分にフィットしない感じが残っているんですよ。
テリー 当然、作り手としては、そのまま世にぶつけたいんだものね。「てぃーんず」「キャンディ」なんて甘い言葉だと、伝わるものがまた全然違うんじゃないですか。
原田 ただ、いざ振り返ると、確かに当時は言葉がまだできあがってないというか、未熟だったことは間違いないんですけどね。
テリー それはそれでいいじゃない。18、19歳で完成した若者なんか、まず、いないんだからさ。
原田 ありがとうございます。「何としても、このチャンスを生かさなきゃ」みたいな思いもありましたから、最終的にそこは納得しました。
テリー そこまでの人気があったのに、しばらくするとテレビに出なくなったじゃないですか。それは原田さんの意思だったの?
原田 別にテレビに出ること自体がイヤだったわけじゃないんですけど、事務所の仕事の入れ方の方向性がバラエティ志向だったことも多く、苦しみました。
テリー あらら、そうだったんだ。
原田 すごくよく覚えているのが、「8時だョ!全員集合」をドタキャンしたことがありまして。