【チェ・ゲバラ、死の真相】見せしめにされたゲバラの遺体 (3/4ページ)

東京ブレイキングニュース

 しかし公開が終われば、無惨なものであった。ゲバラの遺体は二日目の公開の後(10月11日未明)、左右の手首のところで分離され、遺体は一部が隠蔽された。

 隠蔽されたのは、両手を切り離された方の遺体であった。公開が終わった日の未明に、ボリビア軍が運び出して、墓標を建てずに埋めてしまったのだ。ゲバラの友軍によって遺体が奪還されれば、捕虜として捉えられた後、裁判もなしに一方的に処刑されたことがバレてしまう。そのことを軍は何より防ぎたかった。それに埋葬されている場所が、ゲバラ信奉者たちの聖地となることも避けたかった。ボリビア政府が遺体を隠蔽したのはそうした理由からだった。

 一方、ゲバラの両手は首都のラ・パスに送られた。ゲバラの祖国アルゼンチン政府が身元を確認できるようにするためであった。遺体すべてを引き渡せば、処刑したことが明るみになる。かといってまったく渡さない訳にはいかなかった。そのための苦渋の策であったのだろう。

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●洗濯台の今

 バジェ・グランデに到着した翌朝に話を戻そう。

 セニョール・デ・マルタ病院を訪れると、そこは広い中庭のある、平屋造りの病院だった。訪れたとき、朝の診療時間。患者で渡り廊下は医者や患者らが忙しく歩いていた。病院の建物を通り過ぎて、中庭に出ると、ゲバラの顔が描かれている建物が眼に入った。そしてその奥には、鉄の柵で覆われている、意味ありげなあずまやが目の前に現れた。ガイドの男性は言う。

「50年前、この上にゲバラの遺体が置かれて公開されたんですよ」

 ガイドを務めてくれた男性が鍵を開け、敷地の中に入ると、あずまやの屋根の下に、コンクリートの台だけがあるのが眼に入った。

 私は息を呑んだ。

 コンクリートの台といい、そのまわりの壁といい、落書きという落書きで埋め尽くされていた。

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