もはや格闘技!? プロ野球「伝説の乱闘」10番勝負 (3/5ページ)
その日、鈴木貴久がスライダーをバックスクリーンに運んでいたりしたので、予感はあったんです。“絶対にきよるぞ”と」
その読み通りに東尾のシュートが、デービスの左ひじに当たると、デービスはブチギレ! 一目散にマウンドに走る。「デービスは4番を打っていて、人気者でした。新幹線でウイスキーを1ケース買って、みんなにご馳走してくれたりしていましたから。ただ、のちに薬物を吸引したり、冷蔵庫を殴って10針以上縫ったり、そういう気はあったんですよね」(金村氏)
頭に血が上ったデービスを、誰も止められない。右ストレートどころか、何発ものパンチを東尾に浴びせたのだった。「それまでも意図的に狙って投げていたので、東尾を擁護する声はあまりなかった。ただ、この日、“マウンドは簡単に明け渡さない”と、顔を腫らしながらも完投勝利を収めたんです。死球の是非はともかく、その姿もプロですよね」(スポーツ紙デスク)
■ロッテの金田正一監督に顔面を蹴られ…
金村氏は、他にも多くの乱闘を目の当たりにしてきた。特に印象的だったのは、91年5月19日の近鉄-ロッテ(オリオンズ)戦だという。近鉄のジム・トレーバーが園川一美から死球を受けると、ヘルメットを投げ捨て猛ダッシュ。逃げる園川をライトまで追いかけたのだ。
一度はベンチに戻るも、怒りが再燃。またもやロッテベンチにダッシュするのだが、途中で転んでしまう。「そこで、ロッテの金田正一監督に顔面を蹴られたんです。これに怒りが収まらず、試合後も金田監督のホテルに行くって言っていたんですから。金田監督も、その日は出歩かずに、ルームサービスで食事していたそうですよ」(金村氏) “天皇・金田”も、さすがにビビった!?
■外国人に立ち向かった山崎武司
危険球にキレて、外国人に立ち向かったのが中日時代の山崎武司だ。96年5月1日の巨人-中日戦。巨人のバルビーノ・ガルベスが投じたストレートは、山崎の頭部を直撃しそうな危険球だった。山崎はバットを放り投げてマウンドに向かい、ガルベスもグラブを外す。両軍ベンチから選手が一斉に飛び出し、大乱闘に発展した。近鉄から中日に移籍していた金村氏も、この輪の中にいた。「ガルベスが、わざと投げましたから。