あやかりたいという理由で墓石を削って持っていくこととその遺族の思い (1/5ページ)

心に残る家族葬

あやかりたいという理由で墓石を削って持っていくこととその遺族の思い

自分の家の先祖代々の墓ではなく、自分とは直接的には縁もゆかりもない有名人、著名人の墓所を訪ね、その墓石を削って「お守り」または「思い出の品」とする人々がいることをご存知だろうか。「墓石」を傷つけることは、「何か呪いや祟りがあるのではないか」という、「霊魂」に対する恐怖感や神仏に対する「畏れ」の意識、または墓の下に眠っている人の尊厳を傷つける行為だ、などの倫理的な観点から、通常では許されない行為とみなされている。

■勝負運が上がるとされ墓石を削られ持っていかれた鼠小僧次郎吉


しかし例えば、実在した江戸末期の盗賊で、武家屋敷のみに押し入っていたことから、後の戯曲や歌舞伎などにおいて、庶民に盗んだ金銭を配った「義賊」として描かれた鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち、1797〜1831)の墓石はそうではない。削った墓石を身につけて持ち歩くことで、博打のみならず、受験や商談などを含む「勝負事」全般に「勝つ」と信じられ、自分の運を、長年捕まらなかった次郎吉の強運に託す人々で後を絶たない状況だ。

この「鼠小僧の墓」こと、供養碑は、東京都墨田区両国の回向院(えこういん)の中にある。碑に刻まれた文字によると、「永代法養料金五拾圓」を納めた「細川仁三」によって、1926(大正15)年12月15日に建てられたものだ。

本来の次郎吉の墓だが、江戸時代は盗賊などの犯罪者の墓を建てることは禁じられていた。しかし江戸庶民のあいだで、歌舞伎の主人公となった次郎吉の人気が高まったことから、信仰対象としての墓、ないしは供養碑が求められたようである。また、次郎吉の墓石を削る「風習」は大体、明治10年代後半(1885年頃)には行われていたため、初めに建てられた墓石は人々に削られ、小さくなってしまっていたという。高さ1m、幅71cm、奥行き55cmほどの安山岩製の供養碑の手前には、参詣者が削るための「欠(か)き石」こと副碑が据えられている。

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