【皿屋敷伝説】虐げられたことが原因で自ら命を絶ったお菊と現代の自殺問題 (5/7ページ)

心に残る家族葬



このように、遠く離れた京・大坂との長年に渡る交渉から、「播州皿屋敷」の話が碓井町にいつの間にか持ち込まれ、浸透したことが推察される。また、直接の関連性は不明だが、皿屋敷伝説は上方歌舞伎、江戸歌舞伎でも演じられ、大変好評を博していた。碓井町との関連としては、江戸時代の初めから明治にかけて、歌舞伎小屋、そして役者たちが住まう集落が、近在の芦屋や植木に存在していた。そこで「播州」あるいは「番町」を舞台とした皿屋敷ものが演じられていた可能性もある。更に、売れっ子戯作者・山東京伝(さんとうきょうでん)の手による『播州皿屋敷物語』(1811)、またはそれを模倣した読み物が地域の人々に読まれ、話が流布していたこともあるだろう。

■当時、お菊のように虐げられていた人は少なくなかったはず

現実にお菊という下働きの女性が、主人から理不尽な扱いを受け、自殺を選んだ。しかし悔しさから成仏できずにいて、夜な夜な幽霊となって現れ、皿を数えていたかどうかは、今となってはわからない。ただ言えることは、とにかく我慢を強いられ、労働基準法など、労働者を守るための法整備が全くなされていなかった時代に、頑迷な雇い主からひどい仕打ちを受け、辛い思いをしていた人は多かったはずだ。そうした人たちにとっては、自分同様、立場の弱さゆえに辛い思いをし、自殺を選んでしまった人間が幽霊となって夜な夜な現れ、恐怖をもって主君に痛手を負わせる。最終的には、栄えていた家そのものが没落してしまうというストーリーは、ほんのわずかでもカタルシスをもたらすものであったのではないか。

■武家社会が終わった後も、女性による住み込みの下働きは存在した

明治時代に入り、武家政治そのものは終わりを告げた。しかしそれでも、お金持ちの家に住み込み、家事労働などを行う、「下働き」の女性は存在した。それゆえ、「皿屋敷伝説」は単なる怪談話ではなく、当時の人々にとっては、現実的なリアリティを持つものだった。しかし戦後、幼いながらも「下働き」をしなければならなかった少女たちは、地域のお金持ちの家ではなく、商業地として活気がある博多を含む福岡の中心部、あるいは東京や大阪などの大都会に集団就職などの形で出て行った。
「【皿屋敷伝説】虐げられたことが原因で自ら命を絶ったお菊と現代の自殺問題」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る