幕末の志士たちも惚れた!強者・楠木正成のアツ過ぎる一生[その四] (1/2ページ)

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幕末の志士たちも惚れた!強者・楠木正成のアツ過ぎる一生[その四]

前回の「幕末の志士たちも惚れた!強者・楠木正成のアツ過ぎる一生[その参]」」では、正成がかつての盟友・尊氏を呼び戻す案を出すが、朝廷に蹴られた逸話をお話しました。今回は、正成最後の戦いについて紹介します。

計略も無視され、死地に追い込まれた正成…湊川の地に出陣!

建武3年(1336年)の5月、迫り来る尊氏に手を焼いた朝廷は、謹慎させた正成を呼び出して尊氏迎撃の戦略を述べさせます。

「天子様は京都を離れて、比叡山にご避難下さい。足利軍を京都に誘い込み、ワシと義貞で敵の輸送路を断って兵糧攻めにすれば勝てます」

こうした正成の実利的な案に対し、武士を軽く見ていた公家衆は猛反対した挙句、彼の努力と貢献を踏みにじります。

「君は、二度も陛下に都落ちさせて権威を損なう気かね?」
「皇室が天の加護を受けているから、偉大なる朝廷は勝ったのだ」

その上、頼みにしていた後醍醐天皇までも彼らの言葉に乗ってしまいます。こうして正成は、士気も兵数も劣る状況下で、湊川で尊氏を迎え撃つことになったのです。

正成、愛する息子に未来を託す…桜井の別れ

正成は、湊川に行く途中で桜井の駅(大阪府)に立ち寄り、長男の正行(まさつら)を呼んで彼を故郷に逃がします。正行はそれを拒否し、「僕も父上のお供がしたいです」と訴えるのですが、正成は彼を諭しました。

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