「事実ではなく“対立の構造”が独り歩きする」 星野智幸『焔』があぶり出す日本の病巣(2) (1/4ページ)

新刊JP

『焔』(新潮社刊)の著者、星野智幸さん
『焔』(新潮社刊)の著者、星野智幸さん

ある種のフィクションは、その内容や質にかかわらず現実社会を映し出す。風刺や未来への警鐘として、または励ましとしてなど、どのような意味合いとして受け取るかは読み手に委ねられるが、いずれにしても読後に自分の暮らす社会や自分の生きる世界を思い出さずにはいられない。そんな物語があるのだ。

小説家・星野智幸さんの最新作『焔(ほのお)』(新潮社刊)はまさしくそんな作品集。星野さんはどのような意思を持って、どこか陰鬱でまぎれもなく不寛容な日本社会を新作の舞台に選んだのか。そしてこの舞台は「未来の日本」なのか、それとも作家から見た「今の日本」なのか。

社会と創作を巡るそんな疑問を星野さんご本人にぶつけたインタビュー、後編となる今回は、星野さんが持つ社会への問題意識について語っていただいた。(インタビュー・記事/山田洋介)

■現実や事実ではなく対立の物語だけが独り歩きする日本 ――星野さんは数年前の一時期、日本を離れてメキシコで生活されていたと聞きました。メキシコではどう過ごされていたんですか?

星野:2015年に3ヶ月ほど暮らしたのですが、その時は日本の言説空間から身を離すのが目的だったので、メキシコで何をしようというのは特にありませんでした。日本のニュースには触れないようにして、メキシコ人のいい意味でのいい加減さとか、そういう中に身を置きたかった。

だから、基本的には「ただ住んだだけ」です。好きなタコスを食べたり、あとはなかなか時間が取れずに読めないでいたロベルト・ボラーニョの『2666』という分厚い長編小説をゆっくり読めたのは贅沢でしたね。

ちなみに『2666』はメキシコの話で、女の人が行方不明になって殺されたりするのが延々続く章があったり、メキシコの陰惨な現実についても書かれているんです。せっかく日本から離れたのに、今度はメキシコの辛い文脈に巻き込まれて、最終的には「どこに住んでも辛いよね」と(笑)。

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