【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第24話 (4/9ページ)

Japaaan

その頃の紫野といえば、ちょうど引っ込み禿(かむろ)から引っ込み新造になったばかりで、見世の奥で宝玉のように大切にされていた。今でこそ外出も許されているが、当時はそれも禁止されており、他の女郎たちとは全く別格扱いであった。

今や紫野は見世の看板花魁、直吉も十八の立派な青年である。

「花魁、その直坊ってえ呼び方は、ちょいと頂けねえよ」

直吉は口を尖らせた。

「なんで」

「なんでって、十年前は直坊で良かったけど、今ア子どもっぽくてさあ」

「いいじゃない。そう呼ぶと、あたしが直坊と仲良くなった時の事をいつも思い出すの」

紫野が、遠くを見やって笑み笑みした。

「仲良くなった時・・・・・・」

直吉には、忘れがたい記憶がある。

それは十年前、八つの直吉が岡本屋の丁稚として雇われて少し経った頃の事であった。

丁稚の一日は、雑巾掛けに始まり、雑巾掛けに終わる。ある時、直吉はいつものごとく襷をばってんに掛け、雑巾を手に廊下の隅から隅までピカピカに磨いていた。

半刻もそうしていると凝り性の直吉は段々と夢中になり、気が付けば絶対に行ってはいけないと言われていた奥の間の前まで来てしまった。咄嗟に、遣り手の怖い顔と一番初めに言われた言葉が脳裏に蘇る。

あの奥にいる子は、おめえが話しかけていいような人間じゃあないよ。将来は呼び出しつまりこの見世一番の花魁になる子だからね、絶対に近寄ってはいけないよ。・・・・・・

(いけねえ、遣り手に叱られらア)

少年が慌ててその場を離れようとした、その瞬間であった。

障子のほんの僅かに開いた隙間から、柳の枝のような白い細い手がすっと差し出されたのである。

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