15歳にして「悪(にく)らしいほど強い武士!」となった鎌倉悪源太こと源義平の武勇伝(上) (1/4ページ)
菊池容斎「前賢故実」より、源義平。豪胆な寝姿。
「いらねぇよ、肩書きなんざ。俺ぁ実力で勝ち取った『悪源太(あくげんた)』の二つ名で十分でい!(※意訳)」
「たゞ義平は東国にて兵(つはもの)どもによび付られて候(さふら)へば、もとの悪源太にて候(さふら)はん」 『平治物語』より。
虚名の官位なぞどこ吹く風……そう啖呵を切ったのは、いま名乗った通り「悪源太」こと源義平(みなもと の よしひら)。源義朝(よしとも)の長男で、頼朝公の異母兄に当たります。
それにしても、悪源太とはずいぶん物騒な名前ですが、これは敵にとって「悪(にく・憎)らしいほど強い」ことを意味しており、この二つ名を勝ち取ったのは久寿二1155年、15歳の秋でした。
叔父貴の一味へ殴り込み!獅子奮迅の大蔵合戦作者不詳『平治物語絵巻』より、源義朝。