田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(4) (2/3ページ)

週刊実話

作戦は、いわば二段構えで臨むということで、まず佐藤派内の田中支持者を増やす一方で、ライバルの福田クンを外堀から包囲していくというやり方だった。図星だったナ」

 石原莞爾とは、かつて日本軍の満州占領における“立役者”で、独自の戦争理論を持っていた戦略家である。大陸浪人だった木村は戦時中、この石原に大きな影響を受け、総裁選という戦争に“援用”したということのようであった。

★遮二無二の「田中多数派工作」
「いな垣」で自信を得た田中は、その後、一気に多数派工作に拍車をかけた。6月2日には、盟友の大平正芳の支持を取り付け、大平も総裁選に出ることで福田支持者を分散させる一方、「角福」の決選投票になった場合はもとより田中支持に回ることを確約させた。

 その一方で、無派閥議員に影響力のある「ズル正」「道中師」の異名もあった“策士”川島正次郎を引き込み、やがての天下取りを夢見る中曽根康弘の協力も取り付けた。出馬をチラつかせていた中曽根は、突然の出馬辞退を表明したが、時にこんな声も飛んだ。

 「田中は7億円で中曽根派を買収、中曽根がやがて総裁選に出るときは支援するとの“密約”もあったようだ」
 次いで、何かと「金権政治打破」の声を上げる三木武夫も説得、田中内閣ができた場合は「清新にして実行力ある政治をやる」「日中国交正常化へ努力する」などの“確認事項”を取り交わし、三木は総裁選に出馬するものの大平同様、決選投票になった場合は田中支持で同意したのだった。

 ここに事実上の田中・大平・中曽根・三木の「4派連合」が成立し、参院議員の取り込みも拍車をかけていたことから、7月5日の総裁選ではメディア各社は「田中圧勝」を予測した。

 「4派連合」を成立させた田中は余裕も見せ始めた。それまで福田の世話になっていた議員が、「迷っている」と田中のもとを訪れると、田中はその議員に言ったものである。「友情は友情だ。オレに遠慮はいらん。福田君の力になってあげなさい」と。余裕があるからと言えばそれまでで、こうした対応で相手をコロッと参らせてしまうのも「田中流」なのだ。

 さて、一方の福田はと言うと、「劣勢」を尻目に、しかし一縷の望みは崩さなかった。

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