極限で問われる武士の真価!テロに屈せず人質も見殺しにしない源頼信が示した「兵ノ威」とは(下) (4/5ページ)
それと、盗みの報復を受けるかも知れないから、厩の駄馬に鞍を載せたものと、弓矢も一揃いくれてやれ」
罪を赦したばかりか、そもそも盗みをするのは飢えたゆえ、と食糧を与え、更には報復を受けない場所まで身を護れるよう、馬や武具までくれてやる始末。
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盗人の恐れ入りようは、察するに余りあります。
「その食糧がある内にまっとうな仕事を見つけて、今度こそ全うに暮らせよ……さぁ、早く行くがいい」
【原文】「此ヨリヤガテ馳散(はせちら)シテ去(い)ネ」
盗人は頼信に礼を言い、親孝父子に詫びると、そのまま駆け去っていったのでした。
その後、盗人がどうなったかは誰も知りませんが、命の助かった親孝の息子は、金峰山(みたけ。現:奈良県吉野郡・金峯山寺?)で出家して明秀(みょうしゅう)と名乗り、修行を積んだ末に阿闍梨(あじゃり)となられたそうです。
非情と慈悲の両極端・武士の「中庸」とはこうして頼信は人質の命も盗人の命も救ったのですが、これが成功したのは、頼信が示した「兵(つはもの)の威」あってのことでした。
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