五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(9)「人間の身体もエサ」輪廻転生食物連鎖 (1/3ページ)

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五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(9)「人間の身体もエサ」輪廻転生食物連鎖

五木 自分の死後、宇宙のゴミになるのか、あるいは来世とか後生(ごしょう)というか、そのへんはどういうふうに?

椎名 そういう関係の本を読み過ぎてちょっといま、迷いが来てまして(笑)、以前はカッコつけて、どこか適当なところに捨ててくれみたいなことを言ってましたけど、残された者に迷惑をかけないような始末のされ方も必要だと思うようになってきました。ぼくはインドに旅したときに、インドでは毎日カレーばかり食べてて、バラナシに向かってガンジス川に近づいていく頃にはもうカレーに嫌気がして、唯一カレー以外に魚のフライがあったので、その衣をとって白身魚に塩をかけて食べていたんです。そしてだんだんガンジスに近づいていくと、ご存じのようにあそこは水葬ですよね。ぼくはあそこで水葬の死体を50体くらい見ました。ぼくはバカだったのでその川で泳いでしまったんです。あとで、お医者さんにおこられましたけど、泳いでいたら、水葬の遺体とすれ違うんです。上を向いて流れてくる遺体と下を向いている遺体があって、上を向いている遺体には顔がない。目玉がまず鳥たちに啄まれて顔はザクロのようになっていました。鳥もやはり美味いところを知ってるななんて思いながらだんだん慣れてくるんですが、ここの魚たちはきっと人間の死体を喰ってるはずです。ガンジスの死体を見て、そこで輪廻転生とか、食物連鎖というのかその一つの輪の中に入るのかとも感じました。そういうふうに人間の身体も何かのエサになって、食物連鎖のようにグルグル回転するということは、理にかなった葬られ方なんじゃないかとも思いましたね。

五木 自然のサイクルの中に還るわけだ。ぼくもブッダの足跡をたどるということで何度かインドの旅をしましたが、ブッダは神や仏ではなくて人間ですから、旅の途中でその近くの鍛冶屋さんにご馳走されて、豚肉か椎茸だったかを食べて腹痛を起こして雑木林のなかで野垂れ死にするんです。そこがすごく人間的で、いいなあと思いましたね。

──立派な死、反対にみっともない死とは?

五木 人の死に方に、見事な死とか、みっともない死とか、そんなものはないと思います。

「五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(9)「人間の身体もエサ」輪廻転生食物連鎖」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 12/27号椎名誠五木寛之作家カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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