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下山事件 (3/4ページ)

週刊実話



 前沢義昭の訃報に接して1カ月も経っていなかったが、筆者は大山のことが気がかりで2009年の初秋、秋田に飛んだ。事前の確認で夫人から大山が闘病生活を続けていることを聞かされていた。病院は日本海に面する風光明媚な場所にあった。かつて秘密戦士として活躍していた大山は、3階の大部屋で南向きに据えられたベッドに横臥していた。大山は92歳になっていた。果たして真相を語ってくれるのか。突然の訪問なので、追い返されるのではないかと、正直不安であった。だが、不安は杞憂に終わった。

 大山は車椅子を利用していた。ベッドを離れると器用に車椅子を操り、筆者を従えて屋上のサンルームに案内した。
「あなたのことは前沢から聞かされていました。亡くなったそうですね、あいつ」

 短い言葉に前沢の死を悼む情感がこもっていた。
「いずれ、あなたが訪ねてくると思っていました。あなたの著作は読んでいます。下山事件と中野学校を結びつけて取材をされてこられたのは、あなたの成果でしょう。私が暗殺チームの一員であったことは前沢から聞き及んでいると思いますが、あの事件の背景には当時の社会情勢が重くのしかかっていたんです」

 筆者は大山の無防備とも思える第一声に一瞬、自分の耳を疑ってしまった。大山は「暗殺チームの一員」と、はっきりと語ったのである。それと、「殺人事件」を「暗殺」という言葉で表現したのだ…。
「私は、中野の前期を卒業しています。学校は今の東京外大、当時は東京外国語学校と呼んでおり、英文科を卒業したんです。初任地は関東軍のハルビン特務機関で、そこで前沢と出会ったんです。同窓(中野学校)の仲間でした。引き揚げてきたのは46(昭和21)年の夏でした。戦後、就職したのはCICで、ここを紹介してくれたのは中野時代の上官でした」

 大山の口調は緊張感もなく、淡々としていた。
「CIC、ご存じですね。この組織はウイロビーが実権を握っていたGー2の直轄部隊で、戦犯摘発から協力者のスカウト、共産党や労働組合の監視、政治家、官僚のスキャンダル探しなどを仕事にしており、活動は全国をネットワークしていました。隊員の日常業務は中野時代の偵諜という任務が主でした。偵諜とは視察対象者の行動観察のことです。
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