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下山事件 (4/4ページ)

週刊実話

我々はチームボスのことを『ファースト·ルテナント·マーカス』と呼んでいました。おそらく偽名だったでしょう。階級は陸軍中尉でした。私も中野時代は『丸橋』という変名を使っていましたから、マーカスの態度が分かるんです。彼は幹部の中では珍しく日系ではなく白人の将校でした。私のチームには前沢と下平の2人がいましたが、下山総裁を三越から拉致したのは別のチームなんです」

 筆者は固唾をのんで大山の話に耳を傾けていた。そして次の言葉を待った。
「私はマーカスの通訳兼連絡係でした。彼から聞かされたのは、あの事件では拉致実行班と暗殺実行班の2つのユニットが動いたそうです。私は直接、殺害現場を見ていませんが、千葉の館山が現場だったと聞いています。それと総裁暗殺の背景には、当時の国鉄労組を政治的に利用するというシナリオがあったんです。下山さんは、言ってみれば、その犠牲者だったんです。おそらく、下山さんに代わる人物が総裁になっていれば、その人物が犠牲者になったでしょう。下山さんはスケープゴートにされたんです。政治の力学は“総裁職”をターゲットにしたわけですから……。私は下山さんを暗殺した下手人ではありませんが、CIC時代はフジイにも協力して右翼、左翼の情報を集めていました。それと下山さんに関する情報も集めていたんです。中野時代に学んだ知識が大いに役立ちました。皮肉なものですね、占領下で中野の教育が役立ったとは」

 筆者は質問を発せず必死になって取材ノートに大山の言葉をメモする。
「下山事件。私にとって生涯消えぬ人生の汚点です。誰にも話すつもりはありませんでしたが、前沢の訃報を知ってあなたに話す気になったんです。下平も亡くなり前沢も逝った。私と前沢の2人は中野の校友会情報で、行方不明扱いになっている卒業生なんです」

 筆者は最後の質問をした。大山さんは事件に関わったことを「人生の汚点」と言ったが、それは、どんな意味なのか…。
「事件当時、私は31歳でした。CICに勤めたのも、中野時代のノウハウを戦後の社会で活かしたかったんです。しかし、“下山暗殺”目的が政治的動機にあったことを事件後に知り、50年にCICを辞めました。下手人ではありませんが、下山暗殺チームで仕事をしたことが私の人生の汚点なんです。イデオロギーや金銭は関係ありません。プロの諜報員としてのプライドが支えだったんです」

 話し終えた大山の口元は微笑んで見えた。その心情は60余年の澱を一気に吐き出したあとの安堵感。微笑みがそんな心象として残った。
「陸軍中野学校と下山事件」ーー。追跡行はやっと終着点が見えてきた。大山はいま、手記を書いている。大学ノート10冊になるという大山手記。どんな内容が告白されているのか。「下山事件」の真相が明かされる日も、そう、先のことではないのかもしれない。
(文中、証言者は本人の希望で仮名とした)

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