神社の御神体であった石を他の石と置き換えた福沢諭吉と門松を蹴った欅坂46 (2/4ページ)

心に残る家族葬

やがて使者は去り、「異界」となった我が家は日常の現世に戻ったのである。
これを社会全体に広げたのが「祭り」である。祭りが行われる「ハレの日」には、収穫物を神仏に捧げ、大いに騒ぎ、踊り、非日常的な空間となる。正月も本来は年神というお客を迎えるハレの日なのである。

お客が「異界」からの使者なら、死者は「異界」へ去り行く者である。日常とは生きることであるとするなら「死」は日常ではない。墓や斎場もまた「死」という非日常的な「異界」との境界である。我々は生きている限り、死ぬことはない。死は異界の領域なのだ。

■御神体を他の石に置き換え境界を侵犯した福沢諭吉


福沢諭吉(1835~1901)が少年期に、村の稲荷社の中の御神体を暴いた有名なエピソードがある。社に御神体として置いてあった石を別の石と置き換えて、飾ってあった札を取って捨てた後、神社の周りでお祭りが始まったのを見て、周りの大人が御神体を敬い、畏怖していることを笑ったという。

この話では諭吉は「異界」を迷信として乗り越えた者であり、諭吉の合理主義、科学主義的思考を伝えるものであるとして脱迷信的な思想を持つ人達が好んで引用する。

■門松を足蹴にし境界を侵犯した欅坂46


最近、このエピソードを思い出させる騒動が起こった。アイドルグループ欅坂46のレギュラー番組で行われたゲームの内容についてネットの一部で賛否が問われたのである。欅坂のメンバーがこたつの中に入っている物を足で触りそれが何なのかを当てるというものだ(注1)。

このゲームで使用された物のひとつが「門松」で、門松を足蹴にして笑っている光景に批判が寄せられた。

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