神社の御神体であった石を他の石と置き換えた福沢諭吉と門松を蹴った欅坂46 (4/4ページ)

心に残る家族葬

「異界」によって我々は自分たちだけで生きているという傲慢に溺れることなく感謝することを忘れない。

「死」についても同様である。「異界」などは無視して、科学・医学的に見るなら「死」とは生命機能が停止した状態というだけである。しかしそれで割りきれる人は少ない。「死」は単なる「停止」ではないし、死者は「モノ」ではない。ではなんなのか。現世の理ではそれ以上の答えは出ない。「異界」があって初めて「死」は「停止」以上、「死者」は「モノ」以外の何かとして我々の前に立ち現れる。その不合理、不必要な感性こそが、例えばAIなどと、人間を分ける境界である。

(注1)
テレビ東京『欅って、書けない?』2019年1月6日放送回

(注2)
門松に限らず物を足蹴にするのは見ていて気持ちのよいものではない。大人のスタッフの無知、非常識さにも驚くが、アイドルや司会の芸人らも、何の抵抗もなく楽しんでいたとしたら本稿のテーマ云々以前に、常識、マナーが欠如していると感じる(違和感を持ちつつも、出演者として仕事を遂行した可能性もある)。

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