祝・引退記念 イチローよりも張本勲の方がもちろん偉大!【その2】 (1/3ページ)

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祝・引退記念 イチローよりも張本勲の方がもちろん偉大!【その2】

(この記事は『実話BUNKAタブー2016年9月号』に掲載したものをウェブ用に再構成したものです。)

その1はこちら
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猪木よりも強かった男・張本勲

 ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団したイチロー。初年度に1軍出場を果たし、ウエスタンリーグの首位打者を獲得しながらも、1軍首脳陣から「振り子打法」を否定され、打撃方法を変更するように言われるが拒否した。
 一方、張本は甲子園に出られなかったものの、在日韓国人高校生で組まれた日韓親善高校野球のメンバーに選ばれて活躍したこともあってかプロから声が掛かり、1959年に東映フライヤーズに入団。当時の打撃コーチに「打率も残してホームランも打ち、盗塁もできる打者を目指せ」と言われ、打撃フォームと障害の残る右手の強化に努めた。
 その甲斐あって高卒ながら1軍開幕戦のスタメンに名を連ね、レギュラーに定着。13本塁打を打つなどの活躍で新人王を獲得した。
 2年目には打率3割達成、3年目には首位打者、4年目にはMVP。さらに1967年から1970年にかけては4年連続首位打者を獲得しており、1970年はシーズン最高打率も記録している。その後、1972年には2,000本安打達成。1974年には通算7回目となる首位打者にも輝いた。これはイチローと並ぶ、日本記録である。
 安打製造機、張本勲。
 そして1980年、プロ野球史上初となる3,000本安打を達成しているのだが、本塁打で決めている。
 持っている男、張本勲。
 同年、日本プロ野球史上3人目となる通算500号本塁打も達成している。
 飛ばせる男、張本勲。
 通算で3割300本塁打300盗塁以上の「トリプルスリー」を達成しているのは、日本プロ野球史上、張本勲ただひとりである。
 もう一度、言おう。
 唯一無二の男、張本勲。
 ちなみにイチローが2016年、日米通算700盗塁を果たした際、「(達成が)遅いよ。25年やってますからね。

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