原辰徳巨人監督 “元恋人”が語った「禁断の恋」700日 (1/2ページ)

日刊大衆

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 3月29日、プロ野球が開幕した。球団ワーストタイとなる4年連続V逸の汚名をそそぎたい巨人は、オフに50億円ともいわれる大型補強を敢行。復帰した原辰徳監督( 60 )のもと、ペナント奪還に燃えている。

「原監督には、すさまじいプレッシャーがかかっています。12年で7度のリーグ優勝、日本一を3回達成しており、2009年の第2回WBC大会では、日本を世界一に導いた。今や名実ともに、球界屈指の名将ですから」(スポーツ紙記者)

 選手としてのキャリアも輝かしいものだ。「高校時代は東海大相模で、1年生からサードでレギュラーを獲得。春夏合わせて3度甲子園に出場し、東海大に進学しました。大学時代も首都大学リーグで大活躍し、三冠王にも2度輝いています。3年時には“長嶋の再来”と報じられるなど、文字通り大スターとして活躍し、80年にドラフト1位で巨人に入団しました」(前同)

 甘いマスクも手伝い、モテっぷりは半端なく、原氏が歩くところ黄色い悲鳴がやまなかったという。そんな人気絶頂の原氏と交際していたと告白するのが、新宿で『ワッケーロ』という老舗の占いバーを経営する篠原明子さんだ。

「初めに断っておきたいんですが、私は2012年に一部週刊誌で報じられた“1億円の女”ではありませんからね(笑)。現在まで、原さんと金銭の授受は一度もありませんから……。当時、32歳だった私にとって、原さんは年下のかわいい男の子という感じでした。親戚に野球選手がいたので、野球選手好きだったんです(笑)。原さんはテレビや新聞で大スターでしたから、憧れの存在でしたね」

 二人の出会いは、原氏が大学3年時に日本で開催された日米野球だったという。

「青山ダイヤモンドホール(当時)で、日米野球のイベントがあったの。そこで、原さんにサインをもらったんだけど、彼、私に色紙を手渡すときに落としたんです。その日、私は露出の多いワンピースにビーチサンダル姿。沖縄帰りだったから小麦色に焼けていて……。 原さんはわざと色紙を落として、下から舐めるように私の体を見ていた(笑)。

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