「いだてん」第14話振り返りと予習。女子体育の普及に貢献した二階堂トクヨとは? (2/2ページ)
宮城県大崎市三本木に生まれたトクヨは福島県尋常師範学校と東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業して教師となり、石川県立高女に赴任します。当然国語の教師になるものとはりきっていたトクヨでしたが、なぜか体育(体操)まで受け持つことに。文学に没頭していたトクヨにとって体操はもっとも苦手な科目……。
教師として教えるからには真剣に、とキリスト教宣教師ミス・モルガンの元で体操に取り組んだところ、病弱だったトクヨはみるみる丈夫な体になっていきました。そんな自身の体験を通して、「これからは女子教育にも体育が必要だ」と感じたそうです。
もっとも苦手な体操を受け持ったことが、彼女の人生の転機でした。これを機にトクヨは体育の勉強に励み、女子体育を天職としていくことになるのです。苦手だったものでも良さがわかれば考えを改め本気で学ぶ。柔軟な考え方を持っていたのですね。
このあとトクヨは東京女子師範学校の助教となって永井の弟子に。その後イギリス留学を経て、「女子体育は女子の手で」と私財を投げうって「二階堂体操塾」を創設します。これは現在の日本女子体育大学の前身でした。
二階堂トクヨの留学後については、次回以降ドラマでじっくりと描かれることでしょう。
日本に○○を持ち込んだ人物ところで、永井の弟子ということで体操が専門かと思いきや、イギリス留学中に知ったスポーツをいくつか日本に紹介し、広めています。
それがクリケットとホッケー。クリケットは特に今の日本ではあまりメジャーなスポーツではありませんが、世界の競技人口は第2位(推定)。世界では広く親しまれたスポーツです。
一方、発祥地ではほとんど遊ばれなくなったのに日本ではメジャーになったスポーツも今回紹介されましたね。ドッヂボールです。可児徳が坪井玄道とともに日本に広めたとされています。その実、普及につとめたのは永井道明だったとか(笑)永井はスキーの普及にも貢献しています。こうしてみると、「いだてん」に登場する教師陣には「日本に○○を持ち込んだ人」がたくさんいることがわかります。
ストックホルム編が終わり、ここからは今までメインだったマラソンや短距離などの陸上競技に加え、次回オリンピックに向けてさまざまなジャンルのスポーツも描かれていくでしょう。そして、男子スポーツだけでなく女子スポーツも。
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