プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ボボ・ブラジル」幻のNWA王者だった“黒い魔神”秘話 (1/3ページ)

週刊実話

 日本においてはヒールサイドに立ち、ジャイアント馬場らのライバルとなったボボ・ブラジル。キャリア晩年には、今となっては懐かしい花束嬢から受け取ったそれにかじり付くという怪奇派の面も見られたが、本国アメリカでは絶対的なベビーフェイスであった。
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 1948年にNWAが創設されてから、有色人種で初めて世界王座を奪取したのは、’74年にジャック・ブリスコを破ったジャイアント馬場である。

 しかしながら、馬場のケースは日本のみでの王座戴冠という、いわゆる“レンタル王座”であり、基本的にはアメリカもしくはカナダ出身の白人王者が、その座を占めてきた。

 例外としては馬場のほかに、ニュージーランド出身のパット・オコーナーと、日本人の母親を持つリッキー・スティムボートがいるものの、前者はアメリカでプロデビューした白人であり、後者はアメリカ生まれのアメリカ育ちである。

 黒人として初の同世界王者となったのは、’92年のロン・シモンズだが、このときのNWA王座は、事実上、日本に権利譲渡されていたような状況にあり(藤波辰爾や蝶野正洋、グレート・ムタらが戴冠している)、シモンズが獲得したのは、そこから分裂したアメリカ版王座とでもいうべきWCWの方だった。

 正統のNWA王座を黒人レスラーが獲得したとなると、’02年のロン・キリングスまで待たなければならない。もっともその頃のNWA王座は、とても世界の頂点とは言えないようなローカル王座であった。

 「キリングスは王座獲得の前に、『俺はこれまで人種差別のために活躍できなかった』とアピールしましたが、これはあながち間違ってはいない。アメリカのプロレス史を見渡しても、黒人系レスラーが長くトップの王座に君臨した例は、90年代後半からWWEで活躍したザ・ロックぐらいしか見当たらないのですから」(プロレスライター)

 そもそも50年代より以前は、黒人レスラー自体がプロレス界に受け入れられない状況にあった。白人レスラーたちが黒人と肌を合わせることを嫌ったことが大きな理由であり、現在の感覚からするとひどい話だが、当時、そうした差別はごく普通に存在していた。

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