プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「KENTA」米国WWEを経てさらなる伸びしろに期待 (1/3ページ)

週刊実話

 今年1月にWWEを退団したKENTA(WWEではヒデオ・イタミ)が、6月9日、新日本プロレスの大阪大会に来場。今夏のG1クライマックス参戦を表明した。

 プロレスリング・ノアでトップを張り、その後は米国のWWEで経験を積んだ今、どんな戦い模様を繰り広げるのか。

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 KENTAが日本においてトップクラスの活躍を見せ始めたのは、平成も後半に入ってからのことで、そのため「名前を聞いたことはある」というぐらいでしか認知していない昭和のプロレスファンは多いかもしれない。

 1999年に全日本プロレス入団。デビュー直後の2000年6月、プロレスリング・ノアに移籍した当初はいかにもジュニアヘビー級らしく飛び技主体で戦っていたが、蹴りを軸にしたハードヒットのスタイルにチェンジしてから頭角をあらわし、リングネームも本名の小林健太からKENTAへと改めた。

 2005年にGHCジュニアヘビー級王者となると、翌年には丸藤正道の持つGHCヘビー級王座に挑戦。敗れはしたが、この試合でプロレス大賞の年間最高試合賞を獲得している。

 その後はヘビーとジュニアの垣根を越えた戦いを繰り広げて、2013年にはGHCヘビー級王座を初戴冠。約1年にわたって防衛を果たし、三沢光晴の死去や小橋建太のセミリタイアなどで苦境にあったノアを支え続けた。

 同王座から陥落した2014年にノアを退団。
「ノア旗揚げ以降の約4年間、付き人として師事した小橋建太が2013年に引退したことが、退団の直接的な要因となりました」(プロレスライター)

 もともとKENTAの名称は小橋の改名候補として挙がっていたもので、それを小橋本人から譲られた格好だった。
「リング上では嫌味なくらいにクールでスカした立ち居振る舞いを見せるKENTAですが、小橋への敬意を欠くことだけはありませんでした」(同)

 同年7月、大阪でのWWE公演に登場するとリング上で公開契約を行い、9月には「ヒデオ・イタミ」のリングネームが発表された。

 「ヒデオ」は元メジャーリーガーの野茂英雄にちなんだもの。

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