プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「船木誠勝」“最後のサムライ”あまりに純粋な行動原理 (1/2ページ)
“ハイブリッド戦士”として一世を風靡した船木誠勝。鈴木みのるやヒクソン・グレイシーとの戦いに胸を躍らせたファンも多いだろう。プロレス復帰後は新たな戦い模様を繰り広げている。
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FMW軍とUWF軍の抗争が勃発したのは2016年のこと。かつて“最強”の理想を掲げたU戦士たちが、有刺鉄線に囲まれた邪道のリングに上がる姿など、見たくもないというファンは多かっただろう。
このときU軍を率いたのが船木誠勝。大仁田厚との大将対決、爆破王選手権試合においては、一度も被爆することなくスリーパーホールドで完勝してみせたのだが…。
「でも、その後の対戦では被爆していますからね。U系のトップランナーだった船木が、かつては対極にいた大仁田に電流爆破を食らわされるというのだから、時代も変わったものです」(プロレスライター)
1984年、中学卒業とともに新日本プロレスに入団した船木。1989年に新生UWFへ移籍すると、その分裂後はプロフェッショナルレスリング藤原組を経て、1993年に盟友・鈴木みのるらとパンクラスを旗揚げする。
同団体は完全実力主義を標榜し、その旗揚げ大会における全5戦のトータル試合時間は、わずか13分ほど。一瞬で勝負がつく、いわゆる“秒殺”が続出した。
メインイベントの船木vsケン・シャムロックは試合時間こそ6分を超えたものの、エースの船木が当時まだ無名に近かったシャムロックに肩固めで敗れている。
「UWFをさらに研ぎ澄ましたファイトスタイルで、選手の名前や格が通用しない。まさしく実力がすべてという究極の戦い模様は、ファンだけでなくマスコミや他団体関係者、さらには格闘技業界にまで衝撃を与えました」(同)
パンクラスの人気上昇と同時に、その肉体改造本が異例のベストセラーになるなど、船木は時代の寵児としてカリスマ的人気を獲得していった。
★パンクラスでは真剣勝負を標榜
2000年にはヒクソン・グレイシーと対戦。試合に敗れはしたが、パンチでヒクソンを眼窩底骨折させる見せ場をつくり、目を見開いたままチョークスリーパーで締め落とされたその姿は、“最後のサムライ”とも称されたものだった。