たった一人で織田軍を足止めした歴戦の武者・笠井肥後守高利の壮絶な最期【中編】 (3/4ページ)
肥後守よ、そなたの忠義、末代まで忘れはせぬ!」
「勿体無きお言葉……さぁ早く!伝右衛門、惣藏……御屋形様を頼んだぞ!」
「「承知!」」
笠井肥後守高利(左)の愛馬に乗り換えて、捲土重来を期する勝頼公。
かくして勝頼公主従を先に行かせた高利が、少しでも距離を稼ごうと徒歩(かち)で街道を一町(約109m)ばかり戻ったところで織田軍の先鋒と遭遇。追撃の魔手は、もうギリギリのところまで迫っていたのでした。
槍一本で殴り込め!笠井肥後守高利、これにあり!こうなったら、少しでも時間を稼がなければなりません。
追撃に迫る織田軍の先頭を率いるは、歴戦の猛将・滝川左近将監彦右衛門一益(たきがわさこんのしょうげん ひこゑもんかずます)。相手にとって不足はありません。
落合芳幾「太平記英勇伝」より、滝川一益の肖像。慶応三1867年
高利は織田の大軍に向かって大音声で名乗りを上げます。
「やぁやぁ遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!……その昔、頼朝公に御味方して坂東に武名を上げた葛西壱岐守三郎清重が末葉(まつよう)にて、父子二代にわたり武田家三代の覇業を守り立て、数多(あまた)なる戦場(いくさば)にて武勲を奉りし笠井肥後守高利とは我がことなり……!」
源平合戦の頃ならいざ知らず、戦国時代にもなるとこんな時代がかった名乗りはすっかり廃れていました。