たった一人で織田軍を足止めした歴戦の武者・笠井肥後守高利の壮絶な最期【後編】 (5/6ページ)

Japaaan

エピローグ・戦国武士たちが遺したもの

かくして高利が大いに時間を稼いだ甲斐あって、勝頼公は這々(ほうほう)の体で甲州へと転がり込み、滝川勢は撤退せざるを得ませんでした。

その後、勝頼公がどうなったか、その末路については別稿に委ねますが、高利にまつわるエピソードをあと二つ紹介したいと思います。

今回、主君を助けるために壮絶な討死を遂げた高利ですが、高利の十二代祖先に当たる南北朝時代の武将・小山田太郎高家(おやまだの たろうたかいえ)もまた、同様の最期を遂げていたのでした。

湊川の戦いで奮闘する新田義貞と身代わりに駆けつける小山田太郎高家。Wikipediaより。

時は建武三1336年5月25日、湊川の合戦において敗走する新田義貞の身代わりとして足利尊氏の軍勢を果敢に食い止め、討死したと言われ、一説にはそのことを予てより伝え聞いていたという高利は、祖先と同じく「主君の御為」に尊い命を奉る栄誉と奇しき因縁を感じていたのかも知れません。

そしてもう一つ、高利が奮っていた千手院の鎗ですが、相討ちの場所に失われたかと思いきや、笠井家重代の宝として、後世に伝えられているそうです。

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