山口百恵、南沙織、キャンディーズ…70年代アイドル仰天秘話 (2/3ページ)

日刊大衆

「さっそく東京に来てもらいましたが、羽田に着いたときの鮮烈な印象はよく覚えています。まるで彼女が主役の映画の1シーンのようで、周りの人がエキストラに見えたんです」(前同)

 少女は、それからわずか3か月後の71年6月に『17才』で歌手デビュー。瞬く間に若者の“アイドル”となり、以後、7回連続でNHK『紅白歌合戦』に出場することになる。だが、そんな彼女にも、思わぬ逆風が吹いたことがあった。

「当時のマスコミはスキャンダルを捏造することが多かった。彼女もデビュー2年目に、マネージャーとの熱愛がでっち上げられたんです」(芸能記者)

 これに対して、酒井氏は粋な対応をした。

「我々は、曲でアンサーを出すことにしたんです」

 新曲のタイトルは『純潔』。スキャンダルが事実無根であることを、曲名でアピールしたのだった。南の成功を受けて、各レコード会社は次々にアイドルを育成していく。CBSソニーが、次の人材として73年にデビューさせたのが山口百恵だ。

「当初、“花の中3トリオ”の中で百恵さんは3番手でした。なにしろ、デビューのきっかけとなるオーディション番組『スター誕生!』でも、獲得を希望したプロダクション、レコード会社の数は、桜田淳子さんのほうが多かったんですから」(レコード会社関係者)

 3番手の百恵がトップに躍り出た背景には、酒井氏の秘策があった。

「デビュー曲『としごろ』は、彼女の音域に合わせたフォーク系の曲でした。ですが、それではライバルに追いつけないということで、2曲目の『青い果実』で、路線変更したんです」

 それは、“青い性”をテーマとしたものだった。

■“女の子の一番大切なもの”について歌った山口百恵

「雑誌『明星』『平凡』だけではなく、『平凡パンチ』『プレイボーイ』の読者層を狙う路線。これが当たりました」(酒井氏)

『ひと夏の経験』では、“女の子の一番大切なもの”について歌った。

「当時、百恵さんは取材を受けるたびに、薄笑いを浮かべた記者に“女の子の一番大切なものって何ですか?”と質問されていた。

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