山口百恵、南沙織、キャンディーズ…70年代アイドル仰天秘話 (3/3ページ)

日刊大衆

本人は、そんな状況をクールに眺めつつ“まごころです”と答えていました」(出版関係者)

 “青い性”路線による早熟イメージの確立とともに、百恵が他のアイドルと大きく違ったのは、女優業を重視していたことだ。

「マネージャーが、映画やドラマの出演を優先させていた。演技の経験を積むことで、彼女はどんどん表現力を身につけていくんです」(酒井氏)

 そんな時期の楽曲が、嫁ぐ娘の母への思いを歌った『秋桜』、一転して強い現代女性を描写した『プレイバックPart2』だ。ラン(伊藤蘭)、スー(田中好子=故人)、ミキ(藤村美樹=63)ーーキャンディーズのデビューは73年9月のこと。酒井氏は振り返る。

「彼女たちに感じたのは“山の手のお嬢さん”のイメージでした。それを生かして、品のある世界を大事にしたんです」

 それぞれ都会的な雰囲気がありつつも、その魅力は三者三様。そのうえ、3人は仲が良かった。アイドルグループで、誰がセンターを務めるかというのはシビアな問題。それが不仲に発展する原因にもなるが、キャンディーズに限っては例外だった。

「当初はスーがセンターでした。ところが、特に年下のファンに人気が高いランをセンターにした『年下の男の子』が大ヒットしたことで、立ち位置は左からミキ、ラン、スーに固定されたんです」(前出のレコード会社関係者)

 だが、引退間近のシングル『わな』に限ってはミキがセンターを務めている。酒井氏は語る。

「あれは3人の友情の表れでした。というのも、ランとスーから“この曲はミキをセンターにしてはどうか”という提案があったんです。ミキにも思い出を作らせてあげたかったんでしょう……」

 なんと清々しく、美しい絆だろうか。

 現在発売中の『週刊大衆』8月12日号では続けて70年代アイドルを大特集している。

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