伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[前編] (2/2ページ)

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河鍋暁斎 《地獄太夫と一休》

河鍋暁斎 《地獄太夫と一休》 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩、金泥 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター

こんな歌を詠むとはどんな遊女だろうと、一休禅師は遊里を訪れ、その遊女があの名高い地獄太夫と知りました。

「聞きしより見て恐ろしき地獄かな」(その評判は聞いてはいたが会ってみると実に大した遊女だ)と讃えると、地獄太夫は「しにくる人のおちざるはなし」(こんな所に来るもので私に惚れないものはいない)と返しました。これは(死んだもので地獄に落ちないものはいない)ともとれます。

江戸時代後期に活躍した、浮世絵師であり戯作者であった山東京伝が刊行した『本朝酔菩提全伝』にも二人の物語が記されています。

一休が芸妓達と一緒に踊っていると、芸妓達が骸骨の姿に変わりながらも踊り続けています。それに驚いた地獄太夫が、一休から“生きている人間も死んだ人間も表裏一体で同じものなのだ”と説法を受け、地獄太夫は終に悟りを得る、と。

いずれにせよ、これを機会に二人は師弟関係を結ぶことになるのです。このときまさに地獄太夫は菩薩(悟りを目指す人)となったのです。

(中編につづく)

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