服部半蔵が忍者だったのは初代だけ!実は二代目以降は武士だった (2/2ページ)
この時に伊賀越えに協力してくれた伊賀の地侍200人は後に伊賀同心として正成に仕えることになりました。
徳川家康像/Wikipediaより
なぜ正成=忍者のイメージがついたのかここまで大名だった二代目半蔵正成の活躍を紹介しましたが、どうして正成が忍者とされてきたのかというと小田原征伐にありました。
小田原征伐後、正成は父である保長が伊賀忍者の出である縁から、伊賀忍者を統率する立場となります。
武士であるのに忍者を統率する立場として実質的に「伊賀忍者の頭領」となったことにより、必然と正成=忍者として扱われるようになっていきました。
北斎漫画より忍者/Wikipediaより
最後に多くの影響もあり、服部半蔵正成は忍者として描かれることが多いです。
しかし実際には槍の方が得意だったので、武士半蔵として改めて生涯を追ってみるときっと面白いこと間違いなしです。この記事を通して新たなイメージで二代目半蔵、正成を見てもらえる機会になれたらと思っております。
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