服部半蔵が忍者だったのは初代だけ!実は二代目以降は武士だった (1/2ページ)

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服部半蔵が忍者だったのは初代だけ!実は二代目以降は武士だった

服部半蔵と聞くと誰もが忍者のイメージが頭をよぎるかと思います。しかし実際、忍者だったのは初代半蔵だけで二代目半蔵の服部正成(はっとりまさなり)以降は意外なことに武士でした。

しかし正成は「伊賀忍者の頭領」だったことが一般的に知られているので、忍者としてのイメージが強いのは事実です。

服部正成/Wikipediaより

今回は服部半蔵の二代目で一番の知名度を誇る正成に焦点をあて、イメージとは全く違う正成をご紹介します。

槍が得意でついたあだ名は「鬼半蔵」

正成は初代半蔵である服部保長の5男として生まれます。

やがて服部家の当主となり、半蔵の名を世襲されたころには、槍を手に取って元亀元年(1570)の姉川の戦いで一番槍の功績を挙げました。

元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いでも一番槍の功績を挙げますが、武田信玄に大敗北を喫した徳川軍の士気が下がっていた時に正成は単騎で浜松城外へ飛び出し、敵と一騎打ちを行います。

見事討ち取った正成は首を持って城内に帰ってきたので、味方は正成の勇姿に鼓舞されることになりました。

この功績も相まってか正成は「鬼半蔵」のあだ名がつけられることになります。

正成は伊賀越えでは忍者を使わなかった!?

また、天正10年(1582)徳川家康を窮地から救った「伊賀越え」では正成の名が広く知れ渡ることになります。

しかし、正成は伊賀忍者を使ったわけではなく伊賀の地侍を家康の警護に使いました。

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