鎌倉の葛原岡神社はいつから「縁結びスポット」に?神職の方に訊いてみました (1/3ページ)
近ごろ鎌倉の「縁結びスポット」として紹介され、良縁を願って多くの参拝客が訪れる葛原岡神社(※くずはらおかじんじゃ)。
(※)地元民の中には、筆者を含めて「くずはらがおか(神社)」と呼ぶことがありますが、神社によると正式には「が」は入れないそうです。どうも鎌倉では「扇ガ谷」「由比ガ浜」のように、地名などに「が」を入れたがる習性があるのかも知れません。
さて、ここの御祭神である日野俊基(ひの としもと)公は古くから開運の神様として信仰されてきましたが、縁結びにご利益があるという話は、地元民の間でも聞いたことがなく、気づいたらそうなっていた、という印象です。
そこでさっそく、久しぶりにお参りした機会に神職の方からお話を伺ってきました。
御祭神・日野俊基はいかにして「開運の神様」になったか本題に入る前に、せっかくなので葛原岡神社の御祭神・日野俊基公について、その生涯をざっくり紹介したいと思います。
日野俊基公(生年不詳~元弘二1332年6月3日)は鎌倉時代末期、幕府の専横を正して後醍醐天皇(ごだいごてんのう。第96代、在位文保二1318年~延元四1339年)による御親政(ごしんせい。