中居正広が「ジャニーズ退所ロング会見」で語れなかった全舞台裏 (1/3ページ)

週刊実話

 SMAP解散から丸3年。常に去就が注目されていた中居正広(47)がジャニーズ事務所からの退所を2月21日に発表した。同発表に芸能界やテレビ関係者らの多くが“なぜこのタイミングで?”と首を傾げた。

 そもそも、中居が独立の意向を内々に示したのは一昨年12月のこと。そして、中居独立話が現実味を帯び始めると、『ナカイの窓』(日本テレビ系)と『中居正広の身になる図書館』(テレビ朝日系)の打ち切り情報が昨年1月に報じられた。

「中居から独立を打ち明けられたジャニー喜多川氏は、認めなかった。2番組の打ち切りはジャニー氏の意思表示でもあったわけです」(芸能プロ関係者)

 想定していた以上の厳しいリアクションに、中居は一旦、ジャニーズに踏みとどまった。

「2番組は枠替えという形で延命できた。だが、それでも中居の心は揺らぎ続けていたそうです。散々、迷った揚げ句、すべてのレギュラー番組を降板する覚悟で昨年5月に再度退所を申し出ているんです」(キー局編成マン)

 ジャニーズ事務所と中居の間では、またまた緊張が走ることとなった。昨年7月、TBSは東京五輪番組の総合司会に同局の安住紳一郎アナの抜擢を発表。8大会連続でメインキャスターを務めてきた中居がその座を追われたのだ。

「集大成になるはずの東京五輪から外されたわけです。仮に中居がジャニーズを辞めることになっても、東京五輪終了後というのが関係者の大方の予想だった。これはまさしくジャニーズのアメとムチの徹底ですよ。逆らう者、去る者にはムチを持って応えた。中居とて例外ではなかったのです」(ジャニーズ事情通)

 本来なら中居の契約更新時期となる昨年9月でのジャニーズ事務所退所が自然な流れ。ところが、中居にとって想定外の出来事が起きてしまった。大恩あるジャニー氏が昨年6月にくも膜下出血で倒れ、7月9日に死去したのだ。

「ジャニー氏の死を利用する形ではジャニーズを辞めたくなかった。そうこうするうちにジャニーズ事務所は藤島ジュリー景子氏が社長、プロデュース面でのジャニー氏の後継者である滝沢秀明が副社長になるなど代替わりした。

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