現代とはかなり違う!?昔の人は何を「うつくしい」と感じたのか、古典文学から探る (1/3ページ)
「美しい」という言葉を耳にすると、大抵の方は女性や花など、英訳するとbeautifulに相当するものを連想するかと思います。
しかし、言葉というものは時代によってニュアンスが変わってくることも多く、この「美しい」という言葉も、かつては現代とかなり違っていたようです。
そこで今回は、この「うつくしい」という言葉がもっていたかつての意味について調べ、紹介したいと思います。
古典『枕草子』『万葉集』などに見る「うつくし」さまずは古典文学を代表する清少納言『枕草子』にあるこんな一節。
「うつくしきもの(中略)二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、いとちひさき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭(かしら)はあまそぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。(後略)」
【意訳】「うつくしい」ものについて。
2~3歳の小さな子供がハイハイしながらこっちへ来るとき、小さなゴミを見つけて、それを何が面白いのかしっかりと手につかみ、嬉しそうに見せてくる無邪気さと言ったら。
また、おかっぱ頭(尼削ぎ髪)の女の子が目にかかる前髪を掻き払いもせず、首をかしげかしげしながら絵本など見ている様子も、本当に「うつくし」いこと……。