【鎌倉殿の13人】源義経に「第3の女」現る?政略結婚で源氏に嫁いだ平家一門の娘・蕨姫のエピソード (3/5ページ)
その判断は検非違使として京都の治安を守っていた義経が、永く検非違使を務めていた時忠の地位を継承し、将来鎌倉の兄・源頼朝(演:大泉洋)と対抗する基盤を固めるためとも考えられています。
「早く時忠を流し、行家を討て!」鎌倉からの催促に……この婚姻が功を奏したのか、時忠は死一等を減じられて流罪となりました。
「お陰様で、何とか命ばかりは助かり申した……」
5月20日に周防国への配流が決定。8月中旬には他の者たちが次々と流されていったのに対して、時忠と息子の平時実(ときざね)だけは義経の身内だからと9月になっても京都に留まっています。
当然、鎌倉の頼朝は義経に対して「さっさと時忠父子を流罪に処せ」と促すべく、梶原源太左衛門尉景季(演:柾木玲弥)や義勝房成尋(ぎしょうぼう じょうじん)らを使者に遣わしました。
文治元年九月小二日壬午。梶原源太左衛門尉景季。義勝房成尋等。爲使節上洛也。……(中略)……亦平家縁座之輩未赴配所事。若乍居蒙 勅免者不及子細。遂又可被下遣者。早可有御沙汰歟之由被申之。次稱御使。