「君主としては暗愚で精神疾患」は間違い。大正天皇の人となりに迫る (1/4ページ)
もともとあった体調面の不安
大正天皇と言えば、「君主としては暗愚で、しかも精神疾患を患っていた」という俗説があります。
あまり政治面での目立った活躍がなかったことや、奇行が見られたなどがその理由です。
しかしそれらは嘘や勘違いが多いことが、最近ははっきりしています。
大正天皇は、1879年8月31日に明治天皇の第三皇子として誕生。明宮嘉仁親王と命名されました。
1892年、13歳当時の皇太子嘉仁親王(Wikipediaより)
明治天皇は正室2人・側室5人との間に5男10女の子供をもうけましたが、成人できた男性は大正天皇のみでした(厳密にはこの時はまだ「大正天皇」ではないのですが、分かりやすく大正天皇と表記していきます)。その多くは生まれた時から慢性脳膜炎を患っていたとされています。
大正天皇にも体調面での不安がありました。生まれてすぐに髄膜炎と皮膚炎を患い、幼年期には百日咳や腸チフス、胸膜炎に罹患したといいます。
学習院に入学するものの体調が優れない日が続き、小学2年次に80日以上欠席して留年するなどして中途退学することになります。
その後は教育係がつけられ、学業の遅れを取り戻すべく国学や漢文、フランス語などの詰込み学習が行われます。