神の存在を論理的に証明できるか 存在論的証明とは (1/3ページ)

心に残る家族葬

神の存在を論理的に証明できるか 存在論的証明とは

日本人にはあまり馴染みがないが西欧の知識人たちは神の存在証明に挑んできた。宇宙の始まり、宇宙の第一原因を追究する「宇宙論的論証」、生態系などの世界の構造になんらかの大いなる意志を見出そうとする「目的論的論証」など。それらと比べてもかなりユニークな論証が「存在論的証明」である。この論証は「神」という言葉そのものの分析から神の実在を導こうとする。

■アンセルムスとスコラ哲学

存在論的論証は宇宙論や進化論などの具体的な事象や、霊魂・霊能といったオカルト的な現象とも異なる。「神」という概念の分析、言葉の意味の解明から神の存在を論証しようというもので、アリストテレスの論理学を駆使したもの。特に神学者カンタベリーのアンセルムス(1033~1109)の論証は、現代の哲学者たちの間で現代に至るまで議論が交わされている。

この論証は、ある命題が成り立たないことを証明する「背理法」を用いる。アンセルムスは「神は実在しない」という命題が成り立たないことを証明することで神の存在を論証しようとした。

■存在論的論証

まず大前提として【神とは、それ以上大きなものが考えられないもの】(Ω)と定義する。全能の神というからには、この世の何よりも大きくなくてはいけない。神より大きなものが存在すれば、それは神とは言えない。

神などというものは想像はできるが、想像上の存在で現実に存在するとは思えない。特に現代ではそう思う人が多いだろう。しかし「神」という言葉を聞けば、私たちは私たちなりの「神」を理解する。その時にその人の頭の中、想像の中には「神」は存在するといえる。ペガサスやユニコーンが存在するとの同じ意味である。実在はしないが、想像の中でペガサスもユニコーンも存在する。神も【神は頭の中では存在するが、実在はしない】(A)になる。この仮定(A)を成り立たないことを証明する。

アンセルムスはここでただの【想像上の産物より、現実に存在するものの方が大きい】(B)とした。例えばペガサスと馬を想像しろと言われればできる。では実際に連れてこいと言われれば馬は可能だがペガサスはできない。つまり「想像」+「現実」の存在の馬は「想像」だけの存在のペガサスより大きい。つまりこうなる。

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