「鎌倉殿の13人」打倒義時、燃え上がる後鳥羽上皇の野望……第47回放送「ある朝敵、ある演説」予習【前編】 (3/7ページ)

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我こそ次の鎌倉殿…源実朝の暗殺後、将軍位を狙って挙兵した源頼茂の野望【鎌倉殿の13人】

……ただ「源氏の子孫で、鎌倉方に味方したら脅威になるだろうから」という理由で滅ぼされてしまった源頼茂。一方『保暦間記』では鎌倉殿(将軍)の位を狙って挙兵したとされています。

……同二十三日左馬頭頼茂朝臣 源二位頼政孫 大裏の守護にて候けるか将軍の望あるに依て謀叛を起し内裏に立籠けるを時刻を移さす責られけれは仁寿殿に籠て自害しけり此時代々仙洞の重宝失にけるとそ聞ゆ……

※『保暦間記』より

【意訳】同じく23日(ここでは阿野時元と同じ月=2月23日)、左馬頭こと源頼茂(頼政の孫)は内裏の守護に当たっていた(ただし『吾妻鏡』などでは頼茂が討たれたのは7月13日)。

それが将軍位を望んで謀叛を起こしたものの、すぐに攻められ、仁寿殿(にんじゅでん)で自害。その時に放った火が延焼し、多くの宝が失われてしまったという。

……日付や肩書き、討たれた理由や最期の場所など、色々と差異が見られますね。ちなみに『吾妻鏡』だとこんな感じ。

霽。酉尅。伊賀太郎左衛門尉光季使者自京都到着。申云。去十三日未刻。誅右馬權頭頼茂朝臣。虜子息下野守頼氏訖。折節若君御下向之間。故止飛脚。于今不啓子細云々。頼茂依背 叡慮。遣官軍於彼在所昭陽舎〔頼茂守護大内間。住此所〕合戰。頼茂并伴類右近將監藤近仲。右兵衛尉源貯。前刑部丞平頼國等。入籠仁壽殿自殺。放火郭内殿舎以下。仁壽殿觀音像。 應神天皇御輿。及大嘗會御即位藏人方往代御裝束靈物等。悉以爲灰燼。朔平門。神祗官。

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