わたしたちが知らないスーホの白い馬の真実と当時のモンゴル (7/8ページ)

心に残る家族葬

彼女はフフーが夜になると集落を出、日が昇る前に帰ってくることに不審を持って、こっそりフフーを見張っていた。その結果、フフーが空を飛べる特別な馬・ジョノンの背に乗り、毎夜のように美しい天女に会いに行くとわかった。嫉妬に狂ったその女性は、フフーが天女の元に行けなくなるよう、ジョノンの翼を切った。翼を失ったジョノンは、死んでしまった。

愛するジョノンを失い、天女にも会いに行けなくなってしまったフフーは、悲しみに暮れる日々を送っていた。そこでフフーは、木でジョノンの頭を彫刻し、それを棒の先につないだ。そして共鳴箱にジョノンの皮を張って、しっぽを弦にして曲を演奏した。これが最初の馬頭琴である…

■風葬ではなく放置されていた

中国のモンゴル自治区シリンゴル生まれのモンゴル研究者、桜美林大学の都馬(とば)バイカル准教授(1963〜)によると、外モンゴルでは20世紀半ばまで、内モンゴルでは1970年代まで、一部の地域で風葬(ふうそう)の習慣が残っていたが、現在は完全になくなっているという。風葬とは、遺体或いは遺体の入った棺などを岩陰や林に置いて、自然に骨にする葬法のことだ。20世紀前半にモンゴルで活動した、プロテスタント系のスウェーデン宣教師で医師の、ジョエル・エリクソン(1890〜1987)が1913〜38年、そして1947〜48年にチャハル地方で撮影した写真の中に、風葬を写したもの、そして自然災害で亡くなった家畜の写真が数点残っている。亡くなった人や家畜はいずれも、大地の上にそのまま、置かれていた。先に紹介した物語にはいずれも、亡くなった馬の葬儀に関する記載はないが、自然に骨に還るべく地面に「放置」されている遺骸から、主人公が楽器をつくったと推察される。

■最後に

主人公が愛馬の死を悼んで、その体の一部を用いて楽器にするところは似ているが、『スーホ』並びに『馬頭琴』とは、全く異なる。果たしてどれが、「正しい」のか。

我々が「事実」「真実」「常識」と思っていることが、必ずしも「事実」「真実」「常識」とは限らない。そしてまた、馬頭琴の形や音色そのものには何の罪もない。

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