我が天下は揺るがんのう……豊臣秀吉が家臣に語った”天下取りの三要素”とは【どうする家康】 (4/4ページ)
※『葉隠』作者の山本常朝・田代陣基たちは佐賀藩士でした。
また佐賀を龍造寺家から簒奪したと思われたくなくて、鍋島直茂はあくまで野心などなかったと主張するための創作・伝承と考えられます。
歴史に「もしも」はありませんが、もし直江兼続・小早川隆景そして鍋島直茂が手を組んで、それぞれを補い合っていたら天下が獲れていたのでしょうか。想像すると面白いですね。
終わりにところで気になるのは「我らが神の君」徳川家康の評価。
秀吉は、家康をどう評価していたのだろうか?(画像:Wikipedia)
秀吉にとっては、かつて小牧・長久手の戦い(天正12・1584年)で苦戦を強いられた難敵のはずです。
あえて不都合な現実から目を逸らしたのか、あるいは家康の徹底した臣従ぶりにすっかり心を許してしまったのか……実際のところはどうなのか、気になりますね。
秀吉の理屈だと、家康は大気・勇気・智慧のうち、どれか一つしか備えていなかったことになります。果たしてどれを備えていたのでしょうか。
ひたすら狸芝居を続けて秀吉を見事に化かした「神の君」が、その本性を表すまでもう少し。
家康がどこまで化け続けるのか、大河ドラマの方も楽しみですね!
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan