「池田大作に疎まれた」公明党のプリンス・太田昭弘氏の意外な経歴

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注目の東京12区は果たしてどうなるのか
注目の東京12区は果たしてどうなるのか

 来る衆院選で、元航空幕僚長・田母神俊雄候補の出馬で、一躍、注目の選挙区となった衆院・東京12区。ここは公明現職の太田昭弘国交相の牙城として知られる。“公明のプリンス”と呼ばれる太田昭弘国交相だが、公明党の支持母体で創立団体でもある創価学会関係者はこの見立てに異を唱える向きが多い。

 なぜなら創価学会・公明党のエリートは決して選挙になど出されることなないからだ。外部からは窺い知れない“創価エリート”の世界では、まず大学卒業後、創価学会本部職員として採用され、学会の中枢部である第1庶務局に配属、ここで主任や室長といった宗教法人職員、すなわちサラリーマンとしての役職を積み重ねた者のみを指す。

 近年で、創価大学卒業、もしくは東大や京都大、慶応・早稲田の合格を蹴って創価大に進学した“学園”と呼ばれる創価高校・関西創価高校出身者でなければ学会では“キャリア組”と認められないという。

 学会本部職員は同時に学会員でもある。プライベートな立場の学会員として全国男子部長や全国青年部長といった役職に就けば、全国に約250人いるといわれる「副会長」も視野に入る。副会長まで上れば公明党支持母体として「候補者を作る側」へと廻る。

 ここまでくればもう公明党に籍を移し選挙に出馬する可能性は極めて低い。学会では議員と副会長どちらが偉いかといえば、「副会長のほうが偉い」というのは常識だ。企業でいえば執行役員取締役といったところか。国会議員と副会長では副会長のほうがやや格上といったいったところらしい。

プリンスではく苦労人という太田氏の経歴

 太田氏は京都大学工学部大学院卒業後、公明新聞記者などを経て公明党国会議員秘書などを歴任。創価学会の役職では全国青年部長になるなど外部から見れば十分“創価エリート”の条件を満たしているかにみえる。しかし、そもそも最初の就職先が創価学会本部ではないという理由からいわゆる“創価エリート”としての条件は満たしていないという。

 加えて、1945年(昭和20年)生まれの太田氏は、1971年に京都大学大学院を出て公明党に就職した。この年に創価大学が設立され、その1期生として公明党副代表を務める北側一雄氏が入学している。学会でのしていくには創価大出身でなければ話にならない。学会内部では創価大は東大や京大よりもはるかに格上の扱いだからだ。

 年齢的な巡りあわせの悪さとはいえ、創価大で学ぶ機会を逸した太田氏は学会員として、公明党職員として大きなハンデをずっと背負うことになる。それでも学会員としては全国青年部長という役職に就いたのだから逸材という見方は学会内部ではある。事実、年配の学会員は、「太田さんが選挙に出されるとは思っていなかった」と話す。創価エリートとして創価学会副会長などの役職に就くだろうという意味だ。

「太田昭弘は池田大作にも負けなかった男」

 ある学会有力幹部は「太田氏は京大卒という俊秀ぶりと、それに似合わず大勢の学会員からの人望も厚かったがゆえに、池田大作名誉会長に疎まれ、選挙に出された」と言う。学会内部では“体のいい追放”だ。しかもその選挙区は激戦区だ。これにも意味があるという。

「太田さんは人徳があり人気もあった。だから先生(池田大作名誉会長)が選挙に出して潰したというのは50年配の学会幹部の間ではよく聞く話です。それでも太田さんは自力で這い上がってきた“真のエリート”です。都知事選で60万票獲得した田母神さんでもそう簡単に切り崩せないでしょう。あの池田大作にも負けなかった太田さんですから」(学会有力幹部)

 苦労人・太田と若い世代に人気の田母神の両者による事実上の一騎打ちといわれる衆院・東京12区。太田か、それとも田母神か。勝利の女神ははたしてどちらに微笑むのか。注目の選挙区に全国民が目が注がれている。

(文/鮎川麻里子)

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