吉田豪インタビュー 清原和博「去年流した涙はプロ生活23年より多かった」(2)

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吉田豪インタビュー 清原和博「去年流した涙はプロ生活23年より多かった」(2)

 日本最強のプロインタビュアー吉田豪が“旬”の人物にじっくり徹底的に話を聞くロングインタビュー! 清原和博氏登場の第2回目となる今回は、その独特のプロ意識から薬物疑惑でもたらされた苦しみ、話題となったぼっち飯の理由、そしてスポーツ記者との若き日のソープ遊びまで、赤裸々に語っていただいた!

今のプロ野球にガチの雰囲気はあるのか?

──プロ意識が独特ですよね。

清原 そうですね。ああやってフェラーリに乗るのもひとつの演出でもありましたし。いまサッカーの本田(圭祐)は成田までフェラーリで来て、フェラーリで帰っていきますけど、ああいう演出はプロとして必要だと思うんで。

──そこまで意識する人ってあまりいない気がしますよね。清原さんにプロレスラーっぽさを感じるのはそういうところなんですけど。

清原 やっぱり日本の国技は相撲で、日本の娯楽は野球で、僕らが子供の頃は金曜土曜のプロレスで、猪木さんと馬場さんのプロレスで育ったわけですけど、いま民放でプロ野球中継がなくなったっていうのは、プロ野球のOBとしてはすごく寂しいですね。

──スター不在ゆえの問題でしょうからね。

清原 みんな海外メジャーに流れていくっていうのもあるんですけど。僕から見てて、海外に行ってもいいなって思うのは、やっぱりある程度……最初、野茂(英雄)君が犯罪者扱いのようにされてアメリカに渡って、マスコミに叩かれて、練習場も提供されず。あの頃、彼が神宮外苑を走る姿を僕はチラッと見かけたんですけど、やっぱり彼があってこそのメジャーリーグで。僕は彼とも対戦しましたけど、彼はもうひとつ上のステージに行くべきだと思ってたし。イチローにしてもそうですけど。でも、最近はちょっと日本で活躍するとメジャーって言い出して、交渉の術に使ってるのかよくわからないですけど。ホントに昔からメジャーに行きたかったのかとか、問いたくなりますよね。

──収入を考えたらそうなるのかもしれないけど。

清原 ですね。WBCも善し悪しで、選手同士が仲良くなってしまうんですよ。だからそういう激しい闘いが……どうしてもお客さんが観てて、ガチの雰囲気が出てこないっていうのはあるんじゃないでしょうかね。

──それはたしかに感じますね。昔の野球選手の話を聞いてると、どれだけガチだったんだって驚くんですよ。

清原 そうですね。僕らはパ・リーグ育ちだったんで、実力のパ、人気のセっていうのがあって、ジャイアンツを倒してこそ、オールスターでセ・リーグに勝ってこそ、パ・リーグの選手にやっと光が当たるっていう状態だったんで、パ・リーグで育ったっていうのがかえって自分にとってはよかったのかもしれませんね。セ・リーグにいきなり入ってしまうと、その枠のなかに収まって、のびのびとそういう個性が発揮できなかったっていうのはあるかもしれない。

現役時代は毎月数千万円の給料が引退したらゼロに

──『番長日記』が始まった時点で、自分のなかの番長要素ってあったと思います? 番長と呼ばれるようになってから、よりそっちに向かっていった部分もあったんですか?

清原 いや、そういうのはまったくなかったですけど。やっぱりマスコミって、勝ったり負けたりしたら誰かのせいにしないといけないじゃないですか。長嶋監督のせいにできない、もちろん松井のせいにもできない、じゃあ誰のせいにするか、清原だ、みたいな。

──ちょうどいいポジションにいて(笑)。

清原 ハハハハハ! 最初は嫌だったんですよ。なんで俺ばっかりマスコミに叩かれるんだろうっていう気持ちはありましたけど、これもひとつの自分の存在感なんだっていうことを意識し始めてからは……。そりゃ自分自身で番長とかそういうのはね、もう40歳前でね(笑)。

──ダハハハハ! 40歳前でも番長キャラがハマる人っていうのはいないし、いまだにハマッてますよ!

清原 でも、これからはちょっとイメチェンしていかないとなっていうね。時代に合ったものに。今年48歳になりますから、あと2年で50歳でしょ。そういう意味ではまた違う清原を見せていかなきゃいけないなっていうのは考えてますけどね。

──テリーさんのインタビューで、だいぶ違う面も出始めてると思いましたけどね。こういう話もするようになったんだっていう。

清原 そうですね。去年1年間で流した涙っていうのはプロ生活23年で流した涙よりも多かったですから、そこでなんか学ばないと。こういうときこそ考える時間なんだから、考えないといけないなという。

──具体的に、何が一番しんどかったですか?

清原 それは見事に収入が減って……プロの時代は18歳から42歳まで、自動的に25日に何千万という給料が振り込まれてたのが、引退するとゼロになるわけで。

──さらには薬物疑惑とも流れたりで……。

清原 仕事はそういうかたちであまりいただけなくなって。朝早く起きて走ったりすると、通勤するサラリーマンもいれば、酔っぱらって帰ってくる人もいる。そういういままで見えなかったものが見えるようになってきて。やっと最近Suicaを持ってコンビニで買い物できるようになりました。いままでコンビニとかあんまり行ったことなかったんですけど、この1年で行くことが増えて。独り者になりましたし、外に出るとマスコミがいるんで、コンビニのおにぎり何百個も食いましたよ。

──まず日常生活がたいへんなわけですかね。

清原 そうですね。土日は息子の野球を見に行って、ちょっとした仕草が自分に似てたりすると涙が出てきますしね。いまの楽しみといえば、土日に息子の少年野球を見に行くこと。それが唯一の希望でしたね。

スポーツ記者とは「遊び」でも深く付き合った

──そういえば、清原さんの関連本『へんこ魂』(永谷脩/06年/未来出版)を読んで初めて知ったんですけど、デーブ大久保さんの当時のあだ名が「ソープの帝王」だったって書いてあってビックリしたんですよ(笑)。

清原 そうでしたかね。それ、永谷さんの本ですよね? 永谷さんにはよくソープに連れてってもらいましたよ(笑)。

──ダハハハハ! そうだったんですか!

清原 一緒に行きましたよ、『Number』の取材のあとに。

──記者とのそういう交流ってあるものなんですね。

清原 日刊スポーツに2人、3人といましたけど、ホントの僕の言葉を発信してくれる、ホントに食いついてきたプロフェッショナルな記者っていうのはいまでも交流ありますね。いま、どの新聞見ても全部同じじゃないですか、載ってるコメントが。1紙買えば全部同じコメントで。だから誰かひとり聞いたら、それをみんなであとで書いて。昔は各社にブンヤみたいな人がいて、「今日バット新しくしましたね」とか「今日手袋の色替えましたね」とか。

──細かいチェックを入れてきて。

清原 「あの打席の何球目のファールのあと短く持ちましたけど、それはどういうことですか?」とか、そうやってホントに野球の話ができる記者は少なかったんで。いまほとんどそういう記者はいなくなったんじゃないですかね。途中からは飛行機なんか乗ってスポーツ新聞をスチュワーデスさんが持ってきて何紙か見ると、全部同じなんで。じゃあ1紙でいいじゃん、みたいな。

──しかし、ソープの話もちゃんと拾ってくれたことにビックリしました(笑)。

清原 僕もDMMさんに声掛けられたときはビックリしましたし。ずっとコマーシャルやってなかったんで。それでまた六本木の交差点にドーンと看板も出してくれて、あれはうれしかったですね。大阪から出てきて、あんな六本木のど真ん中に自分の顔がドーンと出るのは、なんか……勝ったぞ、みたいな(笑)。

──ダハハハハ! わかります。六本木で遊んでるような時期だったら、よりうれしいかもしれないですね。

清原 それはちょっと困ったと思いますね(笑)。変な外国人いっぱいいますからね。それでDMMさんが取引高世界2位ってことで、こっちもリアルに第2位っていう、僕がノンタイトルなことをイジッてくれたり。そういう意味でも、いろんなコマーシャル出させてもらいましたけど、DMMさんのコマーシャルは印象深いです。

──あれがちょうど例の報道の直前ぐらいでしたよね。

清原 一昨年やったっけ。

──報道以降、人間関係の変化ってありました?

清原 やっぱりありましたね。よりハッキリと分かれましね、去っていく人、それでも手を差し伸べてくれる人。そういう意味でもよく見えた年でもありましたね。まあ、今年は自分から変わっていけば見える環境も変わってくると思うんで。

友達に気をつかって普段は1人飯

──清原さんが最近、新宿の韓国料理屋さんでひとりでご飯を食べてるみたいな話があったじゃないですか。

清原 実際そうですよ。いつも行ってる韓国料理屋のオーナーが料理を作ってくれて、誰もお客さんが寄って来ないように配慮してくれるんで。ホントに家で飯食ってるような感覚で飯を食って、「じゃ」みたいな感じで。

──そういうときに近寄ってこられるのは嫌ですか?

清原 サインひとつ頼まれるにしても、きちんと礼儀をわきまえてる人と……もし僕がすごいファンの人だったら近づけないんですけど、とりあえずもらっとこうか、みたいな無礼な感じで来られるとカチンときますよね。昔は断ったりしてたんですけど、いまは自分がちょっと我慢して書いて、気分よく帰ってもらえれば、それはそれでいいかなって。

──新宿の韓国料理屋でひとりでご飯を食べてるっていう報道を見て、ボク新宿在住なんで、相手ほしかったらボクでよければ呼んでくれれば5分ぐらいで飛んで行くのにって思ったんですよ。

清原 いや、ひとりが結構好きなんですよ。誰かがいるとバランスが取れないというか。やっぱり家を一歩出たら清原になってしまうわけですから。友達をご飯に誘っても、ホントは来たくないんじゃないかなとか考えてしまうんで。

──意外と気を遣うタイプですよね。

清原 そうですね。毎日毎日韓国料理でも、僕は同じもの毎日食べられますけど……。

──他の人なら飽きてるんじゃないかとか考えちゃうわけですね。

清原 ひとりだと自分のタイミングで帰れるんで。友達と一緒だと、じゃあ一軒飲みに行こうかとか。僕、早飯なんで30分あれば食えるんで、そのまま家に帰ったりしたいし。去年はできるだけ人目を避けてたんで。

──ああいう時期だと話しかけられる内容も変わってくるんですか?

清原 いや、それはなかったです。「応援してるから!」みたいな感じで言ってくれるのはホントありがたかったですね。苦しくつらい1年でしたけど、それを無駄にしないようにね、今年は一歩前進して自分で切り開いていかないとダメだと思うんで。

<次回に続く>

プロフィール

清原3

元プロ野球選手

清原和博

清原和博(きよはらかずひろ):1967年、大阪府出身。PL学園野球部員として甲子園で旋風を巻き起こした後、1985年にドラフト1位指名で西武ライオンズに入団。1996年に読売巨人軍へ移籍し、2005年にはオリックスに入団。2008年に引退するまでの通算成績は、2338試合出場、525本塁打、1530打点、打率272、2122安打、1346四球、196死球、オールスター出場19回。

プロフィール

プロインタビュアー

吉田豪

吉田豪(よしだごう):1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。徹底した事前調査をもとにしたインタビューに定評があり、『男気万字固め』、『人間コク宝』シリーズ、『サブカル・スーパースター鬱伝』『吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集』などインタビュー集を多数手がけている。また、近著で初の実用(?)新書『聞き出す力』も大きな話題を呼んでいる。

(取材・文/吉田豪)

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