学校での“イスラム国画像”閲覧に見るリテラシー問題|やまもといちろうコラム

デイリーニュースオンライン

Photo by Bryan Dorrough via filkr
Photo by Bryan Dorrough via filkr

 やまもといちろうです。歩く残虐表現と言われないよう頑張りたいと思います。

 ところで、先日三重の小学生が、学校のパソコンで極めて残虐なISILの捕虜処刑画像や映像を見てしまい、具合が悪くなるという物件がありました。

<IS画像>三重の小学生 自分で検索閲覧し11人体調不良

 比較的残虐画像や映像を見慣れている私でも、ISILがネットに放流したものを見ると「あーあ」と思うところがありまして、これを小学生たちが見てしまったとなるとショックを受けるのもやむなしだろうなと思うわけであります。見たときに、予測と違う殺され方、いろんなものの飛び散り方をすると、ちょうど線路を見ないで行方の分からない状態のジェットコースターのような感じで「酔う」感覚があるのですが、あれに近いものを小学生のときにすると本当にフラッシュバックするんじゃないかと。

 そもそも、私がなぜ残虐映像を見て大丈夫になったかというと、はっきりいって事故の類ではあるのですが、小学校のころ塾へ向かう最中、一人でいた中野駅で中央線の線路へ吸い込まれるように歩いていく白い服を着た女性がいました。ふっと見つめていると、無表情のままの横顔で線路に向かって飛び、声をあげることなくまだスピードの乗っている電車に轢かれ、まるで風船が弾けるようにオレンジ色の光と血しぶきを上げながら車両の下へ吸い込まれていく姿を間近で見てしまったからであります。ほんの2秒かそこらだと思います。さっきまで普通に歩いていた女性が、一瞬の後に物体となる姿。見たくて見たものではない、人の死を、あれから30年以上経った今もスローモーションのように精密に、鮮やかに思い出すことができます。そのぐらい衝撃的だったし、また人の死というものがかくも簡単に訪れ、そして実は身近なものであるのかという現実を認識できるようになるまで、やはり数日はかかったと思います。親にも相談せず、ただただ家に帰って布団を被って丸一日寝ていました。

 その後ときを経て、私はたいていのグロ画像も事故映像も、気後れすることなく見ることができるようになるわけですが、それは結果論であって、乗り越えたわけではなく麻痺したとか、鈍感になったなどという表現になるんじゃないかと思います。

 確かに人の死は悲しむべきものだし、その死に様は人にさまざまな思いを抱かせます。ましてや、捕らえられた無抵抗な人が首を切り落とされる映像から、何か建設的なものを日本の小学生に読み取れというのもまたむつかしい。しかし、一方でそこにあるのは現実のISILの実情であり、犠牲者の最後の姿でもあります。恐ろしくも儚い人の命とは何であるかを見てしまったこの11人の小学生が、1日でも早く普通の精神状態へ戻ってほしいと願うと同時に、日本人として知っておくべき「死」のリテラシーってなんだろうと思いを馳せてしまうニュースなのでありました。

 まあ、三重だけにグロい映像が三重ないほうが良かったかもしれませんがね。

著者プロフィール

やまもといちろうのジャーナル放談

ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

公式サイト/やまもといちろうBLOG(ブログ)

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