「酒鬼薔薇事件」18年目の真相…犯行声明文は警察が作成!?(後編)

デイリーニュースオンライン

事件当時、大きな話題となった犯行声明文
事件当時、大きな話題となった犯行声明文

 神戸市で1997年に発生した連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇事件」から18年が経過した。2015年3月には、犠牲となった山下彩花ちゃん(10歳=当時)の命日を前に、加害男性Aが彩花ちゃんの両親に手紙を送ったと報じられた。

 しかし、事件後18年が経過したにもかかわらず、この事件で放置されたままの疑問や謎があまりにも多い。前編ではまず、被害者である土師淳君(11歳=当時)の遺体との対面が「安置室」ではなく「警察の駐車場」だったこと、そしてどうやって重さ5kgもの頭部を2m近い校門の上に置いたかなど、頭部切断・配置をめぐる疑問点を述べた。

別人犯行説を追う!「酒鬼薔薇事件」18年目のミステリー(前編)

犯行声明文には“プロ“の技術が施されていた!

 続いて「犯行声明文」にまつわる謎と疑問である。

 科捜研の鑑定では少年Aと犯行声明文の筆跡は同一とは認められなかった。また、犯行声明文が入った封筒に貼られた切手には「コーティング」が施されていた事実が、少年の 逮捕前に発売された週刊誌の報道で明らかになった。

<切手には油かノリでコーティングが施されていた。指紋や消印を隠すためだろうが、これはよほど捜査方法を熟知した者でなければ思いつかない>(『週刊現代』1997年5月5日号)

 では少年Aはこのコーティングについて、調書でどのように述べているのか。

<封筒に切手を貼った後でしたが、僕はどこからこの手紙を投函したか分からないようにするために、その切手の上から、家にあった水糊を薄く塗りました。水糊は、乾いてしまうとビニールと同じような性質になると思うので、インク系統は弾かれると考え、郵便局のスタンプ印が見えにくくなるだろうと思ったからでした>(少年Aの供述調書より)

 コーティングという“捜査方法を熟知した者でなければ思いつかない”特殊な技法を、14歳の少年が用いた事実を、調書では「少年の思いつき」という無茶苦茶な理屈で説明している。前出の元公安関係者は「手法としてはプロの連中クラスだな」と証言する。

 “プロの連中クラス”の証拠隠滅の手法を14歳の少年が思いつきで実行したと説明する奇妙な調書は、隠された真実を期せずして露呈している。それは少年A以外の事件で動いた“別の人物の存在”である。

警察内部でも指摘された犯行声明文の警察用語

 別の人物とは何か。そのヒントは前述の『週刊現代』が報じた記事にある。真犯人が捜査方法を熟知した人間である可能性から、記事では「酒鬼薔薇=元警察官」説が展開される。確かにコーティングだけでなく、神戸新聞社に送られた犯行声明文には、警察関係者を想起させるようなフレーズがあるのだ。該当箇所を引用する。

<表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である>

<ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう>

『警察公論』という警察官向けの雑誌では、この犯行声明文に関して次のような見解が掲載されている。

<本命という言葉を本名の代わりに使っているのが単なるあやまちとすれば問題ないが警察用語である犯人を呼称する本命を無意識のうちに使ったとすれば警察関係者ということも考えられる。死刑という一般的な言葉を使わず「吊される」という言葉を使っている点もその疑いをもたせるものがある>(『警察公論』1997年8月号)

 前述の証拠隠滅のコーティングといい、14歳の少年が知っているとは思えない「警察用語」が犯行声明文に散見されるのはなぜか。

「考えられるのは声明文自体を警察が作った可能性。もしくは原文は少年Aだが、警察が手を加えている可能性。少年Aの事件を利用する目的があったとすれば警察がやりかねない手法だけどね」(人権派弁護士)

警察は「前代未聞の猟奇殺人」を演出したかったのか

 酒鬼薔薇事件について、前出の元公安関係者がもらしたある言葉がある。

「酒鬼薔薇事件……あれはやりすぎだよ。でも兵庫県警ならやるだろ」

 多分に皮肉めいたニュアンスだが、この言葉に酒鬼薔薇事件の本質が集約されている。

 ひとつの殺人事件は起きた。犯人は少年Aである──。

 ここまでは、揺るぎない事実である。問題はこの先だ──ひとつの殺人事件を「首の切断」や「犯行声明文」という“拡大演出”によって「酒鬼薔薇聖斗」というモンスターを登場させ、「前代未聞の猟奇殺人事件」へと仕立て上げ、さまざまな形で利用した──。

 ちなみに事件を陣頭指揮した当時の兵庫県警本部長は、Nという人物。彼は1995年5月30日に起きた「国松長官狙撃事件」で警視庁警備部長としての責任を問われ、訓戒処分を受けており、その後就任したのが兵庫県警本部長だった。狙撃された国松長官も80年代末に兵庫県警本部長だった時代があり、酒鬼薔薇事件が起きた2カ月前の1997年3月31日に警察庁を退官している。こうした奇妙な縁は置くとしても、Nにとって酒鬼薔薇事件の解決は、汚名挽回の千載一隅のチャンスだったとも言える。

「未解決の事件、謎が残る事件を考えるなら、時期と地域性は重要な要素だ。事件当時、関東ではオウム、関西では革マル派によるJRやNTT労組の関与が問題となっていた。公安としては革マル派の摘発をやりたい。特に事件が起きた須磨区は共産党が強い地域だ。この事件を利用して、非公然アジトの摘発に入りたい意図はあっただろう」(前出の元公安関係者)

 警察は革マル派を筆頭とする過激派の摘発に最重点を置いていた。そして、その時期、酒鬼薔薇事件は起きた。つまり、警察・公安はこの事件を拡大演出し、世論を煽って革マル派のアジトに捜査が入りやすいように仕向けたということなのか。半世紀にわたり人権派運動を展開してきたある団体の会長は一笑に付した。

「酒鬼薔薇? あれの真の狙いなら公安の過激派アジト摘発が目的だろう。嘘だよ、嘘。あんな事件は。そりゃ少年が何かはしただろうが、首云々は後づけだよ。世論を煽って自分たちが動きやすいようにする。政府や公安がやりそうな姑息な手段だ」

 少年Aの冤罪説を声高に訴えていたのは革マル派である。革マル派は「神戸事件の真相を究明する会」という団体を立ち上げていた。そして、革マル派は少年Aの供述調書を病院から盗み出したとして非公然アジトが摘発を受けている(革マル派は事実無根を主張)。

 確かに少年A冤罪論を目にしたとき、「なぜ革マルが……」という疑問はあった。酒鬼薔薇事件と革マルの接点がまったくもって想像がつかなかったのである。だが、警察への対抗・防衛手段として、革マル派が冤罪説を主張したとすれば、筋の通る話ではある。むろん、警察の捜査手法に問題があった事実は揺るがない。警察もまた酒鬼薔薇事件に関しては脛に傷を持っており、そこを攻撃されたのである。

 酒鬼薔薇事件以降、日本では少年法改正議論が一気に加速した。

「一部から反対論は出てましたけど、世論の味方をつければ官僚・議員も動きやすいですから」(法務省関係者)

 幼き尊い命が奪われたという重大な事実があるにもかかわらず、ひとつの殺人事件を拡大演出することで、警察、公安、そして政府も恩恵を得た。

「まさか、警察がそんなことまでするわけがない」

 一般の方々はこう思われることだろう。至極真っ当で健全な意見である。だが、酒鬼薔薇事件に正面から向かい合っても何も見えてこない。我々の常識など通用しない人間がこの事件の背後で蠢いているからである。それが警察であり、国家の正体である。その事実を認識しない限り、我々は酒鬼薔薇事件という出口のない迷宮の中で、路頭に迷うだけだ。

(取材・文/村内武史)

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