田中角栄 日本が酔いしれた親分力(15)金庫番として田中を支える

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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(15)金庫番として田中を支える

 69年(昭和44年)12月、田中が幹事長として采配を振る第32回衆議院総選挙が公示された。

 それから間もない夜、代議士の1人から、赤坂の佐藤昭の自宅に電話がかかってきた。その代議士はあわてていた。

「資金不足で、当落が危ないんです。今日の11時の夜行列車に、使いの者を乗せます。どうか援助してください」

 時計は、夜の10時になろうとしていた。早寝早起きの田中は、すでに床に入っているにちがいない。起こしては悪い。

 田中が次の総理総裁の椅子を狙い始めた頃から、資金援助を求めてくる政治家たちがひときわ多くなった。今回の選挙では、さらにその数が増えて、昭の自宅に電話がくることも多々あった。

 昭は、資金援助を求めてきた代議士に言った。

「わかりました。お渡ししますので、事務所までご足労下さい」

 いくら田中が寝ている時間とはいえ、金を渡さなければ、田中の沽券にもかかわる。

〈勝手に金を渡して、田中が怒るようであれば、私が1年分の給与をもらわなければいいのだから〉

 昭の肚は据わっていた。

 田中がだいたいどれほどの金を渡すか、傍でいつも見てきた。田中はいつも金額を公平にしようとしていたが、個々の代議士によって状況はかなり違うので、そこも加味しなくてはならない。

 昭は翌朝早く、砂防会館の事務所に出かけた。

 金庫から金を出すと、その代議士の使いの人に手渡し、こう言った。

「このお金は、お返しいただかなくても結構ですよ。どうぞ、頑張って当選してきて下さい」

 政治家たちは、いくら言葉で「貸して下さい」と頼んでも、実際に金を返す者はほとんどいない。貸してくださいということは、「ください」という意味だった。額も、後に金権政治と言われるほどの高額ではない。それ故、相手に負担に思わせないために、初めからそう言っておいたのである。

 朝、田中は砂防会館の事務所に入ってくるや、昭に訊いた。

「今朝あいつが来たろう」

「ええ、ちゃんと渡しておきましたよ」

「そうか、わかった」

 それ以上、いくら渡したか問い質しもしなかった。

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