歴史偉人が遺した「“マル秘”健康」レシピ(4)島流しの西郷隆盛を救った「奄美料理」

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歴史偉人が遺した「“マル秘”健康」レシピ(4)島流しの西郷隆盛を救った「奄美料理」

 今年1月からNHK大河ドラマ「西郷どん」の放送が始まり、またゆかりの各地では盛り上がりを見せている。言わずと知れた幕末の“悲劇の英雄”西郷隆盛(1828~1877)にも食にまつわる物語があった。

 西郷隆盛は、薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男として生まれ、明治10年9月24日、新政府との西南戦争に敗れ、城山で自刃(切腹)。その生涯は50年と決して長くはなかったが、東奔西走しエネルギッシュに駆け抜けた人生だった。

 ペリーの浦賀来航、攘夷問題などが起き始めた時勢、薩摩藩の第11代藩主・島津斉彬に見いだされた隆盛は江戸詰に任ぜられ、公武合体を目指す斉彬の手足となって活動を始める。一方で、妻との離婚、政変、陰謀、策略、そして後ろ盾の斉彬の急死が重なり、井伊直弼大老就任後の安政の大獄に絡む僧侶・月照死亡に関わる件で奄美大島に流された。ここで“島妻”愛加那との間に2人の子供をもうけている。

 その後も精力的に動き、2度目の島流しにあいながらも激動の時代の寵児となっていったのは周知のとおり。だが、行動力にたけた隆盛のパワーの源は、この奄美時代の食生活にあったようだ。

 名物の黒豚が好物で、特に今風で言う「肉入り野菜炒め」と「豚骨」と呼ばれる鹿児島の郷土料理を好んだと、愛加那の子孫によって書かれた「鹿児島の郷土料理」に載せられている。

 しかし、奄美に入ったばかりの頃の隆盛はメタボ気味。それを健康体にしたのは、実は、愛加那が作る島の郷土料理「鶏飯」だったという。元奄美市議会議長で奄美の歴史と文化に詳しい前田幸男氏が言う。

「鶏飯は、貴重品だった米に鶏だしと具材をかけて食べる料理で、島ではぜいたく料理だったが、鶏飯のおかげで奄美滞在中の隆盛は健康そのものだった」

 先の川田氏も、鶏飯の栄養効果を絶賛する。

「鶏は老化を防ぎ血糖値、尿酸値を下げ、抗疲労効果のあるアンセリンとカルノシンというジペプチド、それにコラーゲンを多く含んでいる。

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