前編のあらすじ
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天慶の乱に敗れ、斬首された平将門(たいらの まさかど)。その首級は京都に送られますが、あまりの執念に怨霊となり、再び胴体とつながる(=リベンジする)ため、坂東目指して飛んでいきますが、途中で念霊(ねんりょう)が切れて墜落してしまい、そこが現代の「将門塚(しょうもんづか)」となったそうです。
梟首に処された平将門の首級。葛飾北斎『源氏一統志』挿絵。
同じく胴体も首級と再会するべく歩き出したものの、首級と同じく力尽きてしまい、倒れた場所が「からだ明神」転じて「神田明神(かんだみょうじん)」となったそうです。
将門「首級伝説」の元ネタは?……しかしこのエピソードは江戸時代以降の創作であることが判明しており、その初出は浅井了意(あさい りょうい)の『江戸名所記(寛文二1662年)』という江戸の観光ガイドとされています。