首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

「おのれ新九郎……三浦が怨み、ゆめ侮るな……末代まで祟ってくりょうぞ……!」

その様子の凄まじいことと言ったら、眦(まなじり)は裂けて歯をギリギリと喰いしばり、ざんばら髪は怒りに天衝くばかり……近寄った者はことごとく死んでしまうため、みな祟りを恐れて近づけなかったそうです。

護摩も祈祷も効果がなく……(イメージ)

当初は祟りなど鼻で嗤って取り合わなかった長氏も、いつまでも死なない荒次郎の首級が薄気味悪くなってきたのか、怨霊を鎮めるべく名僧や修験者に加持祈祷をさせたものの、いっさら効き目のないまま永正十六1519年8月15日、長氏の方が先に亡くなってしまったのでした。

エピローグ

さて、怨敵・長氏を祟り殺したのはよいが、このままだと荒次郎は、いつまでたっても怨みの業(ごう)が深まって成仏できない……そう憐れんだ総世寺(現:小田原市久野)の住職は荒次郎の元へやって来て、一首の歌を詠みました。

「現(うつつ)とも夢とも知らぬ一睡(ひとねむ)り
浮世の隙(すき)をあけぼのの空」

すると荒次郎は鬼神の形相を俄かに和らげ、静かな笑みを湛えて瞑目したかと思ったら、次の瞬間には白い髑髏に化けたのでした。

こうして荒次郎の怨霊は鎮められましたが、その後も荒次郎の首があった百間四方(一間≒約181.8cm)は満足に草も生えず、わずかに生えた草も毒気に満ちて、それを食んだ牛馬はことごとく死んでしまったため、誰も近寄らなかったそうです。

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