首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】 (4/4ページ)

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また、毎年7月11日になると三浦一族が滅亡した新井城(現:三浦市城山町)の上空に暗雲が立ち込めて稲妻が走り、亡霊たちの戦う剣戟が響きわたったと言われます。

法雲寺蔵・北条氏政肖像。Wikipediaより。

そして、長氏の曾孫である北条氏政(ほうじょう うじまさ)が自害し、北条氏が滅亡したのは天正十八1590年、奇しくも三浦一族と同じ7月11日のことでした。

首だけになってもなおしぶとく生き続け、ついには怨敵を滅亡せしめた荒次郎のエピソードは、策謀によって滅ぼされてしまった将門の怨みを雪いで欲しい人々の「判官びいき」にマッチしたため、両者の伝承が融合し、永く語り継がれてきたことが偲ばれます。

将門と荒次郎、どちらも時代を越えて全力で闘い抜き、死してなお人々に崇敬される坂東の英雄として、これからも語り継がれていくことでしょう。

※参考文献:
乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社現代新書、平成三十一2019年4月10日
浅井了意『江戸名所記』改造社、昭和十五1940年12月7日
矢代和夫『北条五代記 日本合戦騒動叢書』勉誠出版、平成十一1999年5月1日
上杉孝良『三浦一族 その興亡の歴史』三浦市教育委員会、平成十九2007年3月

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