首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

これを皮切りとして多くの都市伝説が生まれ、言い伝えによっては将門の首級も飛んだり飛ばなかったりするのですが、この将門の「首級が飛んだ」というエピソードにも実は「元ネタ」があるのです。

歌川貞秀画『英雄百首』より、三浦義同入道同寸と三浦荒次郎義意。

物語の舞台は将門の死から五百年以上が経った相州(現:神奈川県)は三浦半島。時は永正十三1516年7月11日、相州一帯に勢力を築いていた戦国大名・三浦道寸入道(みうら どうすんにゅうどう)と、その嫡男・三浦弾正少弼荒次郎義意(みうらだんじょうのしょうひつ あらじろうよしおき)は、小田原の伊勢新九郎長氏(いせ しんくろうながうじ。後の北条早雲)の侵攻を受け、いよいよ最期の時を迎えました。

三浦父子は相州武士の意地とばかりに大暴れ、あまりの「無双」っぷりに、ついには圧倒的多数だった小田原軍の方が怯えだす始末でしたが、とうとう力尽きた道寸は自害、荒次郎も自分の首を刎(は)ね飛ばします。

享年二十一歳、荒次郎の胴体は海に落ちたそうですが、首の方はどんな勢いで斬ったらそんなに飛ぶのか、小田原城の近くまで直線距離で十里(一里≒4km)以上も飛んだ挙げ句、とある松の枝に引っかかって、首のまま3年以上にわたって生き続けたと言われています。

「首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、三浦道寸三浦義意北条早雲伝承平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る