♪一ツとせ~ 人の上には人ぞなき 権利にかわりはないからは コノ人じゃもの♪
※植木枝盛「民権数え歌」より。
人間として生まれた以上、身分や性別にかかわらず、誰もが当然に有している人権。多くの日本人が民権(国民の人権)意識に目覚めつつあった明治時代、封建主義の壁を打ち破ろうと多くの人々が奮闘していました。
今回はそんな一人、「民権ばあさん」の異名で知られた高知県(旧:土佐藩)の女性民権家・楠瀬喜多(くすのせ きた)のエピソードを紹介したいと思います。
日本初の快挙!喜多たちが女性参政権を獲得するまで楠瀬喜多は天保七1836年9月9日、土佐の車力(しゃりき。人力車夫)・袈裟丸儀平(けさまる ぎへい)の長女として生まれ、19歳となった嘉永七1854年に土佐藩の剣術指南役を務める楠瀬実(くすのせ まこと。文政八1825年~明治七1874年)に嫁ぎます。